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所長の一言

2024.01.01

自分の元号を変える

 新年あけましておめでとうございます。旧年中は格別のお引き立てを賜り、厚く御礼申し上げます。本年もご愛顧のほど、何卒よろしくお願い申し上げます。

 昨年はパートナーが還暦を迎えたことで、パートナーを通して、自分の将来を改めて考える機会がありました。また、夫婦交代で体調を崩すことが何度かあり、スタッフ達にたくさん助けてもらいました。子供だと思っていたスタッフ達が、いつのまにか大人になって、当たり前のように自然に親を助けてくれました。本当に有難く、頼もしい、大好きな子供たちです。

その子供たちのために、昨年は様々な改革を行いました。判断基準はシンプルに、動機善なりや、私心なかりしか。事務所は地球道徳共働態、もっともっと良心の仲間を増やしていこう、他力の風の力を借りよう、本質的な拡大に舵を切りました。

経営者としての責任感は、時に我執となり、成長の阻害要因となります。自分がいなければ・・・その考え、そのものに問いをたて、スピリットレスから脱却すること。その為には、自分自身が延長線上を生きるのでなく、視座を上げ、挑戦すること。ビジョンを持って目指すべきリスクをとろう!そう考えました。そんな親の姿を見て、子は自分の足で立ち、ゆるぎ無い一歩を踏み出すのではないでしょうか。私の強い願いは、以下のような環境を整えることです。

一つ、皆が安心して全身全霊で挑戦し続けられる環境

二つ、魂を磨き続けられる環境

三つ、自分を活かしぬこうと死ぬ気で働ける環境

Ido では、昨年から、DXチームを筆頭に~みんなの経理、みんなの総務~「経理仕事人」に、果敢にチャレンジしてくれています。お客様からの紹介が少しずつ増えてきていることを私は実感しています。ヒアリングしたり、慣れない見積もりを作成したり、私は褒めるのが下手で、小言ばかり言いますが、目覚ましい成長です。この調子で、魂がお役立ちを実感できる仕事を、自分達の手で確立していきます。

Idoの最大の強みは良心です。大手事務所のスタッフにはない、不器用で小利口になれない誠実さ、我慢強さが強烈な強みです。今後AI化が進めば進むほど、その強みはさらに大きな価値となるでしょう。強みを大切に育み、磨いていきたいと思います。

最後に、感謝の風は上空に吹いています。やっとその感謝の風を感じることができるようになりました。感謝の風に乗って、もっともっと皆さんが頼りにして下さるよう、全力で2024年を駆け抜けたいと思います。

令和になって6年、自分の還暦までに、自分自身の元号を変えることができるよう、心田開発に励みたいと思います。本年も何卒よろしくお願いいたします。

2024年1月1日 税理士法人Ido 中尾久美子

2023.04.08

心柱

 毎年、確定申告の終わりと共に、春が訪れます。ひと昔前は一週間ほぼ徹夜、もう一頑張りすればスキーに行ける!はずんだ気持ちで、仕事をモリモリとこなしていました。徹夜も季節の風物詩、楽しみの一つ、人生の夏を謳歌していました。

 

 そんなIdoも、早いもので、2023年4月8日に20歳の誕生日を迎えます。帝国データバンクによると、会社の20年生存率は52%、約半分の会社が何らかの事情で消滅するそうです。まずは、会計事務所として、この世に生を受け、20年間存在することができたことに、心から感謝したいと思います。まだまだ人間でいえば成人式、本当の醍醐味はこれからだと頭では理解しつつ、我ながらよく続いたなあ・・・と万感の思いがこみ上げてくるのが実感です。

 

 普通の人が我慢できることのほとんどを我慢することができない、小利口な税理士になれない、呆れるほど不器用な私に、要所要所で一燈を照らし、手を差し伸べて下さった恩人の方々、そして、私を赦し、受け容れ、共に歩んで下さっているスタッフの皆さん、お客様、ご縁を紡いで下さっている皆々様のおかげだと、しみじみ思います。

 

 その一燈、一燈が、物心ついていない私の生きがいの根っこが腐らないよう、その存在を忘れないよう、消え入りそうな私の生きがいに、「いのち」を宿し続けて下さいました。

 

 これぞ我が生きがいと、鼻息荒く信じて疑わなかった30代40代。しかし、親友、そして父の死を機に、「この世でのあなたの仕事は何ですか?」そんな問いにふわっと包まれました。私の仕事、私の幸せとは?両肩を優しく撫でてもらったような温かい感覚、死生観のようなものが備わった瞬間です。

 

 私たち一人一人は各々時代を一歩前に進めるために生まれてきた。私たちの仕事の意味は、自分の仕事を発展させることを通じて、時代を一歩前に進めること。死について何ら考えがなく、死に対して何ら腰の定まらないうちは、その人生はまだ真実とは言えない。自分の使命に生き切った・・・そんな、人間の生き方として最高の燃焼度に達した生き方をしたい・・・ある本の一説です。

 

 私の生きがいの根っこは、父の会社のにぎやかな日常の風景、皆が笑顔で働いていることへの感動、会社っていいなあ・・心からそう思わせてくれたルーツ、Idoをはじめ、そんな会社をたくさん創っていきたい、そして、そんな会社の役に立ちたい、なくてはならない存在になりたい。

 

 税理士という職業のもう一歩先にある世界に、はっきりと照準を合わせようと思います。それが今の私の「生きる」心柱です。

 

 いよいよ第二ステージの幕開けです。皆さんと共に、We do!!第二ステージの私たちに乞うご期待下さい。今後とも何卒よろしく願いいたします。

2023.01.04

道を正す

 新年あけましておめでとうございます。旧年中は格別のお引き立てを賜り、厚く御礼申し上げます。本年もご愛顧のほど、何卒よろしくお願い申し上げます。

 

 2022年ほど、あっという間に過ぎ去った年は、記憶にありません。光陰矢の如し、脇目を振ることなく、もう年の瀬、まるで受験生の強化合宿のような日々を過ごした一年でした。神様が天から私を操って、会計の勉強を一からやり直すよう、仕向けて下さったような不思議な感覚、自分の意志は後付け、やりたいことに突き動かされている状態とは少し違う、修練の年でした。「自分の命を、維持、役割、物質的利益のために使うのか?」ある本で読んだ問いが、焦点を失っていた私を、眠りから呼び覚ました。

 

 2022年の私の漢字は、ずばり、忍です。忍は、私の辞書には存在しない漢字でした。自分から望んで忍を体験することはありませんが、その忍は、今後の私の人生にとって、とても大切な異分子であると感じています。


 黒い羊でかまわない、今までの私は、すべて直感で判断、白か黒か、イエスかノーか、ズルをしているか、ズルをしていないか、それで事足りるよう、枝葉を切り落とし、竹の様に生きてきました。しかし、忍が細胞分裂し、竹ではなく樹木になろう、私はそう思うようになりました。


 「あらゆる衰退は道を失うことから」二宮金次郎の言葉を改めて思い起こします。正直、今までなかったものを絞り出す、苦しい熟考の一年でしたが、その回り道は、自分の存在価値を見つめ直す回り道、改めて自分の本分に気づく回り道であったように思います。本分とは、人が本来尽くすべきつとめ、そのものに本来備わっている性質。


 お客様に数字に強くなって頂き中小企業を元気にする、みんなにしっかり儲けてもらいたい、そんな思いで活動していますが、今はまだ、世の中の65.4%の会社が赤字です。その原因は多岐にわたりますが、私ならもっとできる!!神様から頂いた私の本分で、一社一社、解決して参りたいと思います。長年にわたり、少しずつ、ずれてきた道を正し、焦点を合わせる、それが今の私の清々しい気持ちです。


 そして、私の忍の一年は、思わぬ芽吹きをもたらせました。それは、スタッフの成長です。私が自分のことに精一杯だった一年の間に、自由にのびのびと芽が出て、育まれていたのです。忍の一年がもたらせたサプライズ。私が焦点を合わせたのは、自分の道だけでなく、スタッフの目線であると気づきました。


 全然解けない雪山を見て、ただ冬だと眺めるのでなく、川のほとりで雪柳が解け始め、キラキラとまぶしく輝くさまを見ることができるか・・・

 2023年、様々な変化が予測されます。今までを否定するのではなく、覚醒、目覚めよ。スタッフとお客様に焦点を合わせ、しっかりと寄り添って参りたいと思います。本年も何卒よろしくお願い申し上げます。

2022.04.08

Ido桜

Idoには、「金次郎ハウス」という伊勢合宿所があります。金次郎オタクの私が名付け親です。小さな合宿所ですが、金次郎の銅像が二体、薪を背負って出迎えてくれます。3年前から少しずつ、浜西さんが手塩にかけて手入れしてきた甲斐あり、皆さん喜んで来て下さるようになりました。

 

なぜ伊勢か?とよく聞かれます。理由はいくつかあります。まず最大の理由は伊勢神宮です。車で30分弱ですが、早朝、日の出の時間などは、車が空いているのであっという間に到着します。内宮からあまりに近いと、人が多くざわざわするのでちょうどよい距離だと感じています。二つ目の理由は、伊勢が大阪から近いサーフィンスポットであること。私は万年初心者、下手の横好きですが、海に入るだけで、ヘドロのようにまとわりつく業を浄化してくれます。昔からどれだけ徳を積んでも追いつかないくらい、口は禍の元、言い過ぎ、やり過ぎが性分の私は、過ぎたるは猶及ばざるが如し、海に入って身を浄めなければ・・・という本能があるからです。

 

365歩のマーチの歩みの私のことはさておいて、Idoは今年の4月8日をもちまして19周年を迎えます。皆様のお陰です。心より感謝申し上げます。今年はみんなでお祝いをしてくれるそうです。ワクワクとても楽しみにしています。そんな私はこっそり、昨年の11月、金次郎ハウスに桜の小さな苗木を5本植えました。大好きなドラマのワンシーン、ドラゴン桜にあやかりました。ドラゴン桜のような大きな桜の木ではなく、Ido桜は小さな苗木からスタートです。19年経って満を持して次の世代が動き出したからです。Ido桜の背景には広大な夕陽と海が広がっています。その夕陽を見ながら、スタッフと共に勉強したり、バーベキューをしたり、どんな風に生きていきたいか、仕事について人生について語り合ったりしています。

 

「人生には二つの苦労がある。ひとつは人生を切り拓く苦労、もうひとつは人を育てる難しさである。前者は自分に打ち勝つことであり、後者は自分を捨てることである」すでに亡くなられた石川洋先生の言葉です。当時、二律背反のような言葉を、そんなものかと聞いておりましたが、経験を積み重ねるごとに、その深さ、真理が骨身に沁みます。この言葉の前では、私は桜の苗木です。Ido桜と名付けた希望を胸に、これからも365歩のマーチを歩み続けたいと思います。


Idoとご縁のある方は聖地巡礼の神札を持たれている方です。自分と向き合ってみたい、そんな時が来たら是非、Idoのパワースポットに足をお運びください。

 

19歳のIdoを今後ともごひいきに!何卒よろしくお願い申し上げます。

2022.01.12

易不易

新年あけましておめでとうございます。

旧年中は格別のお引き立てを賜り、厚く御礼申し上げます。本年もご愛顧のほど、何卒よろしくお願い申し上げます。

 

2021年も、まさかのコロナを引きずりながらの終焉となりましたが、まずは、2年にわたるコロナ禍を、強く逞しく生き抜いてこられた皆様にエールを送りたいと思います。今年こそは、「鬼は~外!!」と、私の絶大なる巫女パワーで必ずやコロナを祓いますので、乞うご期待下さいませ。

 

「10年後無くなる仕事」オックスフォード大学の論文のニュースが世界を駆け巡ったのは2014年、今から7年前のことでした。ということは、あと2,3年でたくさんの仕事がなくなってしまう可能性があるということでしょうか。7年前ですが、なかなかうなずけるものばかりです。中でも経理・財務系の仕事にはかなり厳しい評価が下されています。

4位 Financial accounts manager 97.6%(AIに置き換わる可能性)

つまり、財務会計(外部報告会計)に未来無し

8位 Book-keeper, payroll manager or wages clerk 97.0%

単純記帳や給与計算支払業務

8位 Finance officer 97.0%財務担当者

26位 Chartered and certified accountant 95.3%

なんと公認会計士がこの位置には驚きです。

27位 Taxation expert 95.3%、ここで税務の登場です。

会計業務のほとんどは、人間性や創造性、対人スキルを必要としないAIでも十分できる仕事だということでしょうか。

 

しかし、ランキングの中にManagement Accountant、つまり、私たちIdoが探求している管理会計の専門家は登場しません。近いカテゴリーとして・・・

298位 Management Consultant and business analyst 7.0%

AIに置き換わる可能性はほぼないという評価のようです。

経営に正面からかかわり、経営に貢献する、それを抜きにした税務会計、単なる会計技術は必要とされない・・・そういう時代がそこまで来ているということです。

 

私たち会計業界だけでなく、すべての業種業態に、驚異的な変化の波が訪れようとしています。「既に起こった未来」というピーター・ドラッカーの言葉があります。既に起こった事を観察すれば、もたらす未来が見えてくるということです。

 

思い起こせば、会計事務所業界も、この30年、激変の波を乗り越えてきました。手書き決算からクラウドまで、一貫して変わらなかった思いは、経営者に数字に強くなって頂き中小企業を元気にする、経営者の参謀役であれ!!こんな時代だからこそ、変化に右往左往するのではなく、数字に対する揺らぐことのない不易の軸を据え、ロボットと仲良くする、様々な易を柔軟にまとう・・・そんな風に、しなやかに駆け抜けて参りたいと思います。

 

皆様にとっての易不易は何ですか?

そんなことを皆様とお話しできることを、心より楽しみにしております。本年もどうぞよろしくお願い申し上げます。

2021.10.11

風の時代と経営

風水師のお客様から教えて頂いたことですが、西洋占星術では2020年12月22日より、新しい時代、「風の時代」が始まり、なんと今後200年続くそうです。占いは全く素人の私ですが、何やらすごい事のようで、すでに、コロナ禍により大きなパラダイムシフトが起こっている今、「風の時代」には、経営だけでなく生きるための重要なヒントがたくさんありそうです。


ちなみに「風の時代」の前は、「地の時代」が200年。「地の時代」に入った時期を振り返ると、1820年の産業革命が象徴的、武力から経済へ、経済力が世を動かす資本主義の時代へと移りました。「地の時代」のキーワードは、経済、資産、組織など、物質主義、我慢や根性が大切とされ、大量生産、大量消費の時代でした。

 

片や、「風の時代」のキーワードは、情報、コミュニケーション、知性など、見えるものから見えないものへ、所有からシェア、幸せや豊かさ、仕事に対する価値観が変わると言われています。形の無いものが意味を持つようになり、moreからless、ものを持つ時代からもたない自由を楽しむ時代に、自分の好きなことや、やりたいことに素直に行動することが大切にされる時代になります。

 

会社経営という視点においても、今までは、経営者、経営幹部が意思決定し、指示命令、統率する、上位下達のマネージメントがまだまだ主流でした。しかし、「風の時代」は、既存の価値観を払う勇気が試されるとき、心を縛ることはできません。

 

そんな新しい「風の時代」のマネージメント、情報、コミュニケーション、知性、社風、企業のケイパビリティが重要となります。ものへの投資ではなく、情報、コミュニケーション、人の心への投資です。私たちが長年取り組んできた部門別採算制度もその一つです。部門別採算制度は、社長力、管理力、現場力の繋がり、三位一体経営、部門間を結びつけるインフラの役割を担います。やっと時代が追いついたとワクワクしています。

 

皆さんの会社の商品では何が当てはまりますか?直接商品でなくとも、何がつながりますか?ぜひ、インスピレーションを研ぎ澄ませ、ギアチェンジすると共に、チューニングして下さい。きっと、いろんな天の声が聞こえてくるでしょう。

 

社員さんや親しい人のやる気、知恵、工夫をいかに引き出すかが、「風の時代」の醍醐味であり、要諦です。コロナで激減してしまった会社の福利厚生は、三人寄れば文殊の知恵、社員さんの創造性やセレンディピティ(偶然素晴らしい発見をする能力)を引き出す知恵の蔵かもしれません。テレワークは今までの貯蔵物の食いつぶし、組み合わせがカギとなります。そう考えると、「風の時代」ならではの繋がりの叡智が無尽蔵にありそうです。

 

固定観念を捨て去り、Idoと一緒に、「風の時代」に、しなやかに柔軟に、チャンネルを合わせ、会社を永続的に発展させる新しい礎を築いていきましょう。

2021.04.08

天からの手紙

外出自粛が合言葉になって早一年、もはやこれが日常ではないかと錯覚するほど、月日が流れています。時間薬という言葉通り、各人が泣き言をいうのを止め、変化を受容、工夫し、その人なりの不要不急を噛みしめながら、前を向いて暮らし始めたように感じるのは私だけでしょうか。


そんな中、2021年4月8日をもって、Idoは18歳の誕生日を迎えました。

わがままいっぱいの子供だった私が、事務所を18年も続けてこられたことは、奇跡としか思えません。これも一重に我慢強い皆様のおかげです。心からお礼を申し上げたいと思います。


36歳だった私も54歳、ユング先生がおっしゃるところの「人生の正午」をとうに超え、立派に中年の危機 (ミッドライフクライシス)に突入しております。「伝馬空を行く」かの如く、天からの手紙を開けたと信じて疑わなかった私が、このところ、いや待て…これが本当の使命か?本当はまだ天からの手紙を開けていないのでは?そんな混沌の海の中にいます。


天からの手紙という話を初めて聞いたのは2012年3月2日、致知の社長の講演会でした。人間は生まれた時に天から一通の手紙を受け取っている。その手紙には、その人の命の使い方が書いてある。にもかかわらず、その手紙を開けないで死んでいく人がほとんどである。わずか一握りの人がその手紙を開けることができる。一心不乱に働くうちに、天からCALLがあり、天職を授かる。天職は探すものではなく、天から授かるもの…そんなお話でした。


古い殴り書きのメモ故、私の創作も多分に入っているかもしれませんが、私はこの話にいたく感動し、私はすでに天からの手紙を開けている!と確信したのが9年前でした。しかしながら、コロナがもたらした自分と向き合う有り難い時間のお陰で、私にはもっともっと深い命の使い方があるのではないか、まだまだ未来になすべき何かがあるのではないか、そんな私を待っている人がいる、そんな命の使い方を見つけることができる人生を歩みたい、そう強く感じるようになりました。


Idoは新卒採用を初めて4回目になります。会社説明会の代表あいさつで、私はこの天からの手紙の話を必ずします。この話に感動してくれたスタッフと共に、新しいIdoを創っていくことができることは、何より嬉しいことであり、ほまれです。その晴れやかな気持ちにヒントがありそうです。私はもう一度生まれたつもりで、もう一度天からの手紙を開けたいと思います。

 

皆さんは天からの手紙をもう開けましたか?次回お会いした時、皆さんとそんなお話ができることを楽しみにしています。18歳のIdoを、これまで以上にどうぞ宜しくお願い申し上げます。

2021.01.01

あなたは幸せですか?

新年あけましておめでとうございます。旧年中は格別のお引き立てを賜り、厚く御礼申し上げます。本年もご愛顧のほど、何卒よろしくお願い申し上げます。


2020年はついぞ、コロナ一色で翻弄されたように思うのは私だけでしょうか。
「10月、自殺によってコロナの10か月間よりも多くの日本の命が奪われる」CBSニュースを騒がせたように、日本の自殺者は昨年11月末時点で1万9千人、昨年10月だけで2153人、前年より一か月で600人多かったそうです。厚生労働省の調べ(11月17日時点)によると、コロナによる解雇は7万人(内、製造業が1万3671人、飲食業が1万563人、小売業が9551人、都道府県別では、東京17千人、大阪6400人、愛知4千人)を超えました。さらに、総務省の調べによると、完全失業者数は10月末で215万人、前年同月比51万人増、そんな事実が影響しているのでしょうか?暗い話題はこの辺にして…


皆さん!!そんな一大旋風の中、へこたれず、腐らず、一年間、本当に、本当に、よく頑張りました!誰も褒めてくれないので、私が一生懸命、全力で褒めます!きっと、神様、ご先祖様もずっと見守ってくれていて、頭をなでなでしてくれていると思います。


努めて前向きに様々なアプローチを試みましたが、振り返ると、都度、不安を胸に、迷いながら、祈りながら、決断の連続を重ねてきたように思います。その決断が正しかったのか、誤っていたのか、その答えは、2021年度に持ち越されたように思います。言い換えれば、今ならまだやり直せるチャンス、そんな風にも考えることができます。


老若男女、経営者、従業員、学生、幼き子供たち、みんなそれぞれの立場で、何かしら自分自身の命と向き合ったのではないでしょうか。只々、走り続けていたならば、感じることなかった感覚、それは神様から頂いたターニングポイントかもしれません。今後の人生、本当に大切なものは何か?私にとって、そんな本質的な問題と向き合う大切な時間となりました。もしも、しばらくして日常に戻っていたならば、喉元過ぎれば熱さを忘れる、自分の根っこと対話する時間にはなっていなかったでしょう。


はっきりわかったことは、私の心の安寧は、売上や利益では得られないということ。私の喜びは、社員さんの成長やお客様の笑顔。こんな時代に頼って頂ける仕事があって、愛する仲間と家族がいて、追いかける理想がある、そんな幸せを噛みしめるために私は仕事をしているのだ…

 

 

皆さんは何のために仕事をしていますか?

 

私は神様からよく質問されます。


あなたは幸せですか?



そんな問いを胸に掻き抱きながら、さあ、新しい年の幕開けと共に、今日から第2ラウンドのスタートです。きっと昨年より、私たちは強く逞しく、しぶとくなっているはずです。自分を信じて、幸せを噛みしめながら、一歩前に!を積み重ねていきましょう。

2020.01.01

生きるということ

 新年明けましておめでとうございます。昨年中は格別のお引き立てに賜り、厚く御礼申し上げます。本年もご愛顧の程、何卒よろしくお願い申し上げます。

 

 ほんの数年前まで、生きるということは成長し、覚醒するということ、さらに言えば、成長していなければ死んでいるに等しい・・・私はそう信じて疑いませんでした。しかし、その成長、覚醒は何を物差しにするのか?ふと、その物差しが自然に変化していることに気付きました。

 

 何に追い立てられているのか、何を急いでいるのか、立ち止まる瞬間もなく、今日まで生きてきましたが、何かが違う、腹の奥底と同時に、脳天の宇宙から囁きが聴こえてきます。

 

 では生きることとは何なのか?先日参加した二宮尊徳研究会で耳にした言葉が頭から離れません。「あらゆる衰退は道を失うことから」この言葉を聞いた瞬間、滝のように命題が私に降り注ぎました。私は道を失っていないか?私の道は何だったのか?

 

 二宮金次郎は事あるごとに、この言葉を口にしながら、様々な難問を乗り越えていったそうです。本当の困りごとは何なのか?困りごとの根っこを見失っている状態で物事の根本解決はできません。困りごとは道を見失っていること。

 

 事務所の売上の成長曲線が衰退している最大の要因は、私が道を見失っているから・・・道とは本分、はじまりの場所、元々を正すこと。

 私の本分は、魂入れ。関わる人々に道を思い出してもらうこと。そしてお金で道を見失うことのないよう、入るを量りて出ずるを制す、採算を合わしていただくこと。
  
 生きることとは、その道を一歩前に出ること。それは、成長や変化というより、命の脈拍を淡々と刻みつつ、歩いた道筋を一筋の希望に変えること、今の私はそう思います。

 

 人生の春夏秋冬、私は晩夏から初秋への変遷を生きています。ちみもうりょうがうごめく世の中、私は自分の良心を信じつつ、生涯天使を生き続けたいと思います。

 

 観音様に毎日お願いしていることも少し変化しました。前までは、みんなが笑顔で成長してくれますように・・・だったのが、みんなが笑顔でいられますように、その前に私自身が笑顔でいられますように・・・魂入れはまず自分に、そして家族、共に働くスタッフのみんな、お客様、関わる人々と共に、それぞれが自分の道を見失うことのないよう、一歩一歩前に歩んでいきたいと思います。本年は初心に帰り、自分の本分を全うします。そんな私をどうか見届けていただけますように・・皆様、何卒よろしくお願い申し上げます。

2019.04.08

青春

 令和の幕開けを静かに待つ平成31年4月8日、Idoは無事、16歳の誕生日を迎えることができました。

これもひとえに、Idoを支えて下さっている皆様のおかげさま、この場をお借りして、心から感謝を申し上げたいと思います。

 

 16年前開業した頃の私は、只々、思う存分納得のいく仕事がしたい・・・その一心でした。寝食を忘れて仕事する、という表現が大げさでない自分がそこに存在し、その瞳は一心にお客様を向いていました。ふと、16年前の私が現在の私に問いかけます。情熱は失われていないか?

 

 16年経った今、明らかに私の体力は落ちました。同志であり戦友であるパートナーの働き方改革、他人でありながら家族である存在の16名のスタッフの笑顔、来年4月入社予定の4名の玉のような新卒スタッフ、要介護5の両親の介護との向き合い方、いろいろ瞳を向ける先が増えました。 最近、専ら私の心をくすぶる詩を紹介します。ご存知の方の多いと思いますが、サミュエル・ハウマンの「青春」という詩の全文です。

 

 青春とは人生のある時期をいうのではなく、
 心の様相をいうのだ。
 優れた創造力、逞しき意志、炎ゆる情熱、
 怯懦(きょうだ)を却(しりぞ)ける勇猛心、
 安易を振り捨てる冒険心、こういう様相を
 青春というのだ。
 年を重ねただけで人は老いない。理想を失う時に
 初めて老いがくる。
 歳月は皮膚のしわを増すが、情熱を失う時に精神はしぼむ
 苦悶や、狐疑や、不安、恐怖、失望、こういうものこそ
 あたかも長年月のごとく人を老いさせ、精気ある魂を
 も芥(あくた)に帰せしめてしまう。
 年は七十であろうと十六であろうと、その胸中に
 抱き得るものは何か。
 曰く、脅威への愛慕心、空にきらめく星辰(せいしん)、
 その輝きにも似たる事物や思想に対する欽仰(きんぎょう)、 事に処する剛毅な挑戦、小児のごとく求めて止まぬ探求心、
 人生への歓喜と興味。

 人は信念と共に若く、疑惑と共に老ゆる。
 人は自信と共に若く、恐怖と共に老ゆる。
 希望ある限り若く、失望と共に老い朽ちる。

 大地より、神より、人より、美と喜悦、勇気と壮大、そして
 偉力の霊感を受ける限り、人の若さは失われない。
 これらの霊感が絶え、悲歎の白雪が人の心の奥までも
 おいつくし、皮肉の厚氷がこれを固くとざすに至れば、
 この時にこそ人は全くに老いて、
 神の憐みを乞うる他はなくなる。

 

 今年53歳になる私ですが、この詩に描かれるよう、死ぬまで理想を追い求め続けようと思います。様々な場面において、自由に愛を降り注ぐ存在でありたいと思います。この先ずっと、皆さんと共に歩むことができたら本望です。進化するIdoを、今後とも末永く、ごひいきに宜しくお願いします。

2019.01.01

努力は報われない、 それがどうした、負けるもんか!!

 新年明けましておめでとうございます。昨年中は格別のお引き立てに賜り、厚く御礼申し上げます。本年もご愛顧の程、何卒よろしくお願い申し上げます。

 

 昨年一年間は、私にとって人生で一番しんどい年でした。言い換えると、今までの人生、苦労したことがなかったとハッキリ断言できます。人並みの苦労はしているつもりでしたが、その道は私的な道であったため、私の分に難なく収まっていました。ところが昨年は突如、「分と任」のバランスが壊れ始め、自分の分というものを考えさせられることとなりました。そうなると分不相応に慣れていない私は脆いもの、自分の良心を判断基準に!などとスタッフやお客様に声高らかに宣言していましたが、「ちょっと待てよ・・・私の良心に私心はないのか?」ぶれまくる多くの人々の気持ちが、幸か不幸か手に取るようにわかるようになりました。迷いなき自信満々の私のしたり顔が、タゴールの卑しいエゴの如く脳裏を走馬灯のように駆け巡ります。

 

 そんな私の苦渋の一年の生きる支えとなったのが二宮金次郎でした。私が本物の金次郎に触れたのは忘れもしない2011年12月16日、運命の日から丸7年になります。当時の私は人の問題で行き詰まり、事務所経営から逃げたい、でも逃げたら何のために生きたらいいのか、生きる価値はあるのか・・・思い悩んでいた私に金次郎は優しく囁きかけました。

 

「あなたは生きていていいのですよ。あなたは何も怠けていない、誰よりも一生 懸命生きています。もし怠けていることがあるとするならば、それは報徳を怠けているのでは・・・」私は雷が落ちたみたいに涙が止まらなくなりました。たくさんのお客様、愚直に頑張るスタッフたち、そして何より、変わり者の私を応援し、包んでくれる家族に恵まれている私・・・いったい何の不足があるでしょう。足らざるは報徳、そして私の身を修する克己の覚悟のみでした。

 

 その後7年間、事あるごとに「金次郎だったらどうするだろう?」を心の支えに、私心の雲を払いたまえ浄めたまえの一念、一歩前に!を積み重ねて参りました。自分の私心だけでなく、人様の私心まで、祓い浄める任を担うには、圧倒的に分が足りず、昨年はうちひしがれましたが、人間は万能ではありませんが無力ではありません。不合理だからこそ、分をわきまえず挑戦できると信じます。売上高は魂磨き高、努力は報われない!それがどうした!負けるもんか!私は懲りずに今年も不合理に挑戦し続けます。

 

 金次郎オタクが昂じて今年4月、伊勢にIdo報徳研修所をオープンします。

金次郎の石像がペアでお出迎えさせていただきます!金次郎に触れたい方は是非お越し下さい。


今年もIdo一同、何卒よろしくお願い申し上げます。

2018.08.01

蝉の声

 残暑お見舞い申し上げます。連日の猛暑に辟易しておりますが、皆様はお変わりなくお過ごしでしょうか?

 

 毎年この時期になると、蝉の声、そして強い陽ざしの中に燻る煙と共に、亡き人に思いが馳せます。2年前の8月、大切な人を二人続けて亡くしました。ソウルメイトと主人の母です。二人とも以前から病気でしたが、実際に亡くなるイメージがまったくわかず、永遠ではないけれど先の話、勝手に決めこんでいました。個人的なことを話せばきりがないので割愛させていただきますが、同年代である友人の死を目の当たりにして率直に感じたことは、強烈に悲しい反面、きっと現世での仕事を早々に終え、飛び級で次の世界に行ったのだ・・・「先に行って待ってるから!中尾さん、もう助けてあげられへんけどがんばりや!」そんな声が聞こえたような気がしました。誰かが先に行って準備する大切な志事があるから、いつものようにその大役に身を挺して率先垂範、迷わず手を挙げたんだ・・・そんなシーンが走馬灯のように浮かびました。その時ふと、じゃあ、この世での私の仕事は何?そんな命題にふわっと包まれました。両肩をポンっと優しくたたいてもらったような温かい感覚。

 

 次に母ですが、母は不思議な人で、普通、長男の嫁として最も迎えたくない、私のような仕事サイボーグを大変かわいがってくれました。というより私を認めてくれました。結婚してから母が亡くなるまで、ついぞ一度も世間でいう嫁姑問題を経験することなく終わりました。遅くに家に行くと、ご飯を作ってくれビールをついでくれました。脳梗塞で倒れてからは、主人のお姉さんが自分の仕事を辞めて、献身的にお世話をして下さり感謝でいっぱいです。私が行く度に、「仕事があるだろうから、大丈夫だから、早くもどり、一広を頼むよ」とだけ言われました。故にお別れの時誓ったことは、「一広さんを一生支えます。安心して下さい。」何が言いたいのかというと、私を取り巻く全てのことが、諸手を挙げて私のやるべき仕事を応援してくれているということ。皆の祈りがこもっているということ。そこに邁進していい人生なのだということを、母の死に際し改めて感じた次第です。

 

 ある本で読んだ一説が思い起こされました。私たちは40億歳、地球とともに脈々と受け継がれた命、固体生命としてはせいぜい寿命100歳ですが、私たち一人一人は各々時代を一歩前に進めるために生まれてきました。私が今している仕事の意味は、自分の仕事を発展させることを通じて、時代を一歩前に進めること。死について何ら考えがなく、死に対して何ら腰の定まらないうちは、その人生はまだ真実とは言えない。自分の使命に生き切った・・・そんな、人間の生き方として最高の燃焼度に達した生き方をしたい・・・大切な人の死に際し、そんな風に思ったことを昨日の様に思い出します。

 

 死生観といえば大げさかもしれませんが、自分の身に起こることは必ず何かの思し召し、毎年蝉の声に誘われ、心残りのない死を迎えられるよう、生き方を省みる大切な時間にしたいと思います。

2018.04.08

受苦せしものは学びたり

おかげさまで、平成30年4月8日をもちまして、税理士法人Idoは、めでたく15周年を迎えることができました。これもひとえに、皆様のご支援、ご愛顧の賜物と、心より感謝しております。今後も、開業以来積み重ねてきた経験を活かし、皆様のご期待に添えるよう、スタッフ一同、より一層の努力をしていく所存でございます。

 

事務所の15周年を目前に控えた春、税理士法人の役員である恩師が退任し、新体制を築くこととなりました。私は、この新体制を築くにあたって、たくさんの痛みとたくさんの感謝を享受すると共に、たくさんのことを学びました。まさに青天の霹靂、あまりの急展開に宇宙のエネルギーの導きを感じずにはいられませんでした。毎年、年末に鑑定して頂く四柱推命の老師に言われた言葉、「油断大敵」という言葉が臨場感をもってリアルに迫ってきました。油断の語源は油を断つ、王が臣下に油を持たせ、一滴でもこぼしたら命を絶つといわれた、仏教の教えから来ています。 

 

開業以来15年、税務よりも会計に重きをおいてやってきましたが、税理士という仕事の本質を深く考えさせられました。血税といわれる所以、まるで血液を浄化する腎臓のような働きを会計事務所は担っている・・・そう強く思いました。

 

受苦せしものは学びたり、古代ギリシャの箴言が伝えるように、人は苦しみから学びます。頭ではわかっていても、人間は亡くしたり、痛みを伴わないと、本当にはわからない生き物なのかもしれません。痛みを伴って初めて、本気で反省し、本気で改善するのかもしれません。

 

皆さんも、うすうす違和感を感じながらも、見て見ぬふり、感じないふりをしていることはありませんか?

私が今回学んだことは、いずれ何とかしないといけないと思っていることがあるならば、今、何とかするということです。そういう意味では、違和感は天の声。私は天の声に耳をふさぎ、聴こえないふりを演じていたのかもしれません。それゆえ神様が、大難を小難に、小難を無難に、無難を感謝に、取り計らって下さったのかもしれません。まさに今回の事象は天からのメッセージ、宇宙には、すべてのものを進化発展させていく流れがあり、愛と調和に満ちています。思った通りにはならなくても、うまくいくことが多いのはそのためです。

 

15年という節目にあたり、この先さらに15年歩んでいくにあたっての最高の贈り物をいただいたと感謝しております。お金は真実をあぶりだすフィルター、お金は良心探知機と言いながら、まだまだ私には覚悟ができていませんでした。あとは、私が今回のことを通じてどれだけのことを学ぶか・・・さらに皆さんのお役に立てるよう、魂を磨いていきたいと思います。

2018.03.01

寛恕

私の周りには、「良いこと」を我が身を削って行う方が後を絶ちません。その「良いこと」は、間違いなく、美しい心と素晴らしい志です。そう聞くと、完璧なる美徳の様に聞こえますが、「論語とそろばん」、バランスを欠いた経営者の行いは様々な障壁を生みます。その方たちは、「道徳なき経済は悪、経済なき道徳は寝言」という言葉を知ってはいますが、耳元の囁きに過ぎません。「良いこと」とされる、その行いの舞台の主人公でいるときは、気持ち良く酔いしれ、真っ直ぐ前を向き、迷いなく全力で力を注ぎます。しかしながら、そこに経済が回る仕組みは全く存在せず、いつしか様々な支払いが遅れ、借入返済もままならず、利益がないので法人税の支払いはなく・・・消費税や源泉所得税などの税金の支払いも遅れ遅れに・・・中にはそんな方も出てきています。良いこととお金儲けは相反するものなのか?古典的な問いが頭をもたげます。そもそも人に迷惑をかけて良心を語ることは、著しくバランスを欠き、天に通じていません。自分の身を正し勘定を合わすことは、人として生活するうえで、まずは基盤となる根本姿勢だと私は思います。お金はバランスを欠いたところには決して流れてきません。

 

先日、長年のジレンマを解決するヒントとなる話を聞きました。それはベトナムでトレーニングレストランを経営している日本人の方のお話でした。ベトナム戦争後、ストリートチルドレンと呼ばれる子供たちが数万人いるといわれています。そのストリートチルドレンを採用、一流のサービスができるよう、トレーニングするレストランです。そのレストランは味もサービスも一流、高級感ある店構え。そこに、「ストリートチルドレンをトレーニングしている」という言い訳や、上から目線の良心は一切存在しません。通常のレストランとして高収益を上げています。もともとお金持ちだった人が始めたのでなく、青年海外協力隊で訪れた青年がゼロからスタートして16年目とのこと。大切にしていることは?との問いに、その方の口から出た言葉がとても印象的でした。「寛恕、どうしても恕(ゆる)せない先に、恕すは存在する。」寛恕は形式的な謝罪を促す言葉としてではなく、自らの積極的な恕し(ゆるし)、神仏の如き心、その言葉に秘められた、その方の深淵なる境地を想像せずにいられませんでした。

 

今、私の周りで頑張っているその方たちも、その境地への階段を昇っている過渡期、たくさんの恕せないこと、たくさんの愛に直面しながら、寛恕への道を歩んでいるに違いありません。今私が一番肝に命じないといけないことは、その方たちの姿勢がなってないと揆つことではなく、妥協策に懐柔することでもなく、寛恕の境地で導くことだと感じました。たやすいことではない、深淵なる道だからこそ、その方たちと共に、その境地にたどり着きたいと思います。

2018.02.01

人の己を知らざることを患えず 人を知らざることを患う

穏和になったともっぱら評判の私ですが、瞬間湯沸かし器的な沸点は極限まで下がったものの、その分何とも言えない違和感、気持ち悪さを感じる瞬間が増えました。身の毛もよだつ感覚、到底受容できない感覚、いわば動物的本能です。ずるさやごまかしの匂いが漂う時、権威を振りかざす傲慢な空気に触れた時、自分は識者だと思っているのに謙虚を装っている人(衣の下に鎧を着ている人)と接した時、何かに憑依されたかのごとく、本能が呼び覚まされます。この人と自分は相容れないだろう・・・そう決めつけてしまう自分を我ながら小さいなあと反省しますが、瞬殺ゆえ中々矯正できません。「汚いものが見えるのは己が汚いからである」というどこかで目にした言葉が脳裏に浮かび、自分にもそんな一面があるから反応していることを実感します。


「人の己を知らざることを患えず、人を知らざることを患う」お客様から頂いた閑谷学校のカレンダーを毎朝洗い物しながら眺めています。「人が自分のことを評価してくれないと気にやむのではなく、自分が人の評価をきちんとできるようにすることを気にするべきだ」という解説文が横に書いてあります。自分が相容れないであろうその人がどんな背景でそうなったのか?その人がどんな人生を歩んできたのか?少し耳を傾けると、また違った声が聴こえてきます。本能だけで生きるなら、私が動物でなく人間に生まれてきた意味がありません。


ここ最近、一年くらいですが、こんな私でも、何気ない日常の中に良知が埋もれていることに気付いた時、得も言われぬ温かな気持ちに包まれます。そんなモードの時、周囲を見渡してみると、スタッフの誠実な横顔、不器用だけど懸命に生きている両親の背中、家族やお客様の笑顔、それぞれが誇りと尊厳を持ち光り輝いています。皆が何らかの事に当たりながら、魂を磨いている仲間であることを実感します。その時、一切の私心の雲は取り払われています。何かに執着していることを自覚したら雲が去ることがわかりました。そしてそのモードの時、私はすごく自然で満ち足りています。あとはそのモードの私でいられる時間を増やし、天からサポートを受ける人生を歩んでみたいと思います。今年中に、どこまでそのモードの時間を増やして行けるか、乞うご期待!ぜひ皆さんも私の変化を見守って下さい!

2018.01.01

Keep going 前を向いて

 新年明けましておめでとうございます。

昨年中は格別のお引き立てに賜り、厚く御礼申し上げます。

本年もご愛顧の程、何卒よろしくお願い申し上げます。

 

 年の瀬が迫りくる12月のある日、事務所の来期の方針発表に思いを馳せながら、しみじみ実感したことがあります。それは、根を自覚することの尊さ、そして、根を張ることへの感謝です。昨年度のIdoは、お陰様で3年ぶりに、最高売上、最高益、スタッフも17人となり、業績的な側面では、大変充実した年でした。しかし、その結果とは裏腹、私自身は沈思黙考、まるで数年間冬眠しているかの如く、冬の時代をいそしんでいます。

 

 3年前の春、発信者であり過ぎた私は、ワクワクしているふりをしたり、徳を受けていると無理に思い込もうとしている自分に気づきました。心から実感していなければ本物の根っこを張ることはできません。発信力と受信力のバランスを完全に欠いていました。本物の根っこを張るには受信力を高めること。受信力とは、立ち止まって、しみじみ噛みしめ、自らに栄養を与え根を張ること。もっと私自身を労わること、それが私を大切に思う人を労わることにつながる、それが根っこであることを知りました。根が弱いところに大きな枝葉が茂ると容易に折れてしまいます。善きことややるべきこと、光の部分が多すぎると影が大きくなります。

 

 現状、Idoは、スタッフの献身的な努力と、皆の良心に支えられています。そんな誠実なスタッフが、安心して良心を貫ける環境を創ることこそ、経営者にとって最も大切な仕事です。善のフィルターを通しているため、視野が広いようで、高いところしか見ていない自分を猛省し、理想を振りかざし、社員に辛い思いをさせるのではなく、社内、社外を問わず、嘘つきにならない経営をすることを改めて心に誓いました。思えば、目の前だけ見ていてもいけない、理想ばかり追いかけていても周囲を不幸にする、どちらも見据えていくことの大切さを、頭で理解するだけでなく、体得するための回り道だったように思います。

 

 事務所を見渡せば、数年にわたり冬眠している、そんな体たらくな経営者などおかまいなしに、スタッフ一同、自分の志事を全うしてくれています。結果、未熟ながらも、幹部が育ち、若手が生き生きと働き、みんな前を向いています。若くて柔らかい根っこですが、15年間養い続けたIdoの根っこが少しずつ張ってきているのを感じます。長い長い冬の時代を経て、冬枯れの木が新芽を出すが如く、満を持して、春の息吹に身を委ねてみようと思います。根を自覚することの尊さ、そして、根を張ることへの感謝を胸に、Ido一同、Keep going今年は一歩前に進みます。本年も何卒宜しくお願い致します!!

2017.12.01

11月は様々な出来事と想いが錯綜した1か月でした。11月なのに年の瀬のような、まるで走馬灯が10倍速のスピードでかけめぐるような・・・
確実に今までの自分の身体感覚を上回る勢いで物事が進んでいきます。その都度、立ち止まって考えるというより、両腕を抱えられながら走っている感覚。
そんな中、ふと立ち止まって考えさせられることがありました。
 
独立前からの古いお客様で、誰が担当してもうまくいかない癖のあるお客様がいらっしゃいます。
ここ数年、私が決算の処理について関わることはほとんどありませんが、毎年、その会社の決算の度に私が登場します。
根はとてもやさしい人で義理人情に篤い方ですが、妥協を許さず、とげのある、刃物のような方です。
独立して14年半、Idoの経営理念に合わないお客様は自然と離れていきました。Idoという船と、同じ波長の方が集うからでしょうか。
正直、私は心のどこかで、何故この方が離れていかないのだろうかと不思議に思っていました。
しかし、その答えが今年はっきりとわかりました。それは私自身の問題でした。
 
私は性格が悪く、今まで、というより、今でも、私は出会うお店の人や電話オペレーターの方に、つい、傲慢な態度をとったり、
イライラして意地悪い一言で傷つけたりしてしまいます。そんな私の所業に対し、自分がされたらどんなに嫌か、その方を通じて
神様が教えて下さっているのだと思います。至らなく、未熟だとしても、みんな必死で生き、一生懸命です。いくら正しくとも、
その嫌な一言でその人が変わるわけでもなし、余計なお世話。尊厳を傷つけられ、その人の魂が傷ついています。
何人にも、人の魂を傷つける権利はありません。私の単なる三毒の怒りであり、私の自己満足です。
スタッフや家族、身近な人には慈悲の心が芽生えてきましたが、まだまだ感情的で魔が差します。
私が完全に根治することができた時、その方も慈悲の人になるか、残念ながら離れていくとわかりました。
本音で話してみれば、その方も私と同じく苦しんでいました。共に慈悲の人になりたいと思います。いえ、きっとなれると信じます。
 
刺さっていたのは 虫メガネで見ねば わからぬほどの とげであった
そのとげを見ながら思った わたしたちはもっともっと 痛いとげを 
人の心に刺し込んだりしては いないだろうかと
こんな小さいとげでも 夜中に目を覚ますほど痛いのに
とれないようなとげの言葉を 口走ったりはしなかったかと
教師であったわたしは 特にそのことが思われた  by 坂村真民

2017.11.01

カルマ

ここ数年、そこはかとない違和感を感じていることがあります。その違和感はじわじわとボルテージを上げ、もはや笑顔で居合わせることが出来ないくらい、顕著なものになってきました。それは何か?と問われると、明確な自覚的表現が出来ず、自分はうつ病?と、すっきりしない感情を見ないようにふたをしていました。敢えて稚拙な表現をすると、人を評価したり、声高々に宣言したり、上から見下ろしている人の高揚した表情が苦手。とにかく、こうすべきだと人を操作したり、啓蒙する人を見るにつけ、いたたまれないような居心地の悪さを感じてしまうのです。なぜ、そんな気持ちになるのか、ずっとずっと、言語化できませんでしたが、ある方の文章を読んで、初めて自覚し、開眼しました。

 

立志すべき、人としてこうあるべき・・・そこには、圧倒的な、「ひととして」の一つの答え、つまり、「正解」が用意されていること。そして、答えが一つであるということは、「裁き」であり、「愛」ではない・・・ゆえに、独善的な香りや傲慢さが漂い、息苦しさを感じてしまうのではないか。自分自身、何が出来て、どう生きるべきかを、それぞれが命がけで考え、もがきながらも必死で行動することは、とてもとても尊いことであり、だからこそ、そうやって、それぞれが、それぞれの答えを紡ぐ責任と義務をもって、主体的に生きている現実に対し、根本的な敬意を表したい。どんな答えにも、どんな生き方にも、小さかろうと大きかろうと、好きだろうと嫌いだろうと、善だろうと悪だろうと、そんなこととは別に、必ず尊さや価値がある・・・

 

私には、自分の主観が必ず一言入るという業があります。私にそれを言われると、人は、自分の答えではなく、私の答えを探します。一人一人がそれぞれの答えを紡ぐ責任と義務をもって主体的に生きている現実に対し、厳かな敬意が欠落していました。ここ数年の違和感は、自分の業に気づき、業を祓うための万華鏡のように思えてきました。自分自身が吐き出していた宣言めいた啓蒙的な言葉、大真面目に無意識に人を裁く姿、業をさらしていた自分を思い出すと、背筋がゾワゾワします。

 

不幸になりたいと願っている人間はこの世にいません。意外とみんな、命を燃やして生きています。世の中、けっこう、捨てたもんじゃない!!あの人は〇〇だからだめ。社会はこんなにも疲弊している、そんな心配は余計なお世話。そんな恐怖や不安ではなく、まだまだ、世界は優しさと愛であふれている、そんな人間へのキラキラした信頼に光を当てて、一歩一歩、自分の人生の答えを紡いていきたいと思います。

2017.10.01

画竜点睛を欠く

 私事ですが、7月半ばから週に三回、父の看病のために実家に通っています。もちろん仕事をしながらですので、時間にすると、わずか2時間くらいですが、父も母も、私が来ることをとても楽しみに待っていてくれます。ケアマネさんはじめ、チーム魂磨きの方々は、あいかわらず、みんな信じられないくらい良い方です。私はずっと付き添っている母が精神的にまいらないよう、父の食事介助をしたり、母と一緒にご飯を作ったり、神経痛で買い物が辛い母の代わりに、母が困らないよう食材を考えながら買い出しに行ったり、ちょっとしたヘルパーさんの気分です。私は数年前までこの世界に無縁でしたが、お陰様でずいぶん詳しくなりました。病人が主人公の家は、ただでさえ暗くなりがちですので、少しでもプラスのエネルギーを注入し、母が明るくなるよう、毎回、慰問団の気持ちで訪問します。

 
 というと、さも前向きで聞こえがいいのですが、つべこべ言わずできることをやる!と威勢よくスタートしたものの、謎のストレスに悩まされていました。スケジュールの調整がうまくいかず、スケジュール帳に支配される日々。少しでもゆっくりすると、そんな暇があるなら親孝行か仕事すれば・・・と良心がとがめます。四六時中、こんなことしていていいのかという対象不明の焦りが錯綜し、そこはかとない罪悪感にずっとさいなまれていました。つまり、仕事をしている時は、親をおざなりにしている自分に、実家でお世話をしている時は、仕事をおざなりにしている自分に、どちらにしても自分の心中が定まっていない不安定な状況が続きました。

 そんな時、両親は正直です。体調を悪くしたり、モンスターになったり・・・いろんな形で私に心と理の不一致を格(ただ)すよう、事を通じて教えてくれます。責務から行っている不自由な娘から発せられるエネルギーは私心に曇っています。生きるということは、常に、なにがしかのしがらみの中で誠を尽くすこと。今の私はまるで、家と仕事を言い訳に、どちらも中途半端にしか行わないサラリーマンのようです。私が両親なら、娘に何を望むでしょうか?「世の中のお役に立つ人間になってほしい。」両親からずっとそう言われて育ちました。親孝行と仕事を天秤にかけるのではなく、私が世の中のお役に立つことも親孝行だと気づきました。


 画竜点睛を欠く、親孝行に肝心要のひとみをいれていませんでした。親の看病も仕事も、いのちと暮らしを豊かにすることに変わりありません。そしてそんな誠の姿をスタッフやお客様が見ています。今日から改めて、念々に旧套を打破する状況が出現すると覚悟し、私自身の本物の親孝行と本物の志事を行いたいと思います。

2017.09.01

富は神からの委託物

お金は良心探知機です!私が会計のセミナーをさせて頂くとき、必ず申し上げる言葉です。決算書や業績の推移を見れば、その会社の経営者の方の気質が、ほぼ百発百中わかります。慎重な方、無鉄砲な方、見かけによらず豪快な方、お金が離さない方、お金に嫌われている方、なかには、口では綺麗なことをおっしゃっておられても・・・決算書を見ればその人の本性がわかります。
長い目で見れば、必ず、お金はきれいなところに集まります。なぜならお金は、自分をきれいなことに使ってもらいたいからです。もし、お金が一か所にたくさん集められ、せき止められたら、清流がよどんでしまいます。ダムはみんなのための水を貯めるところであり、個人的な資金のダムを作ろうと、必要以上に蓄財する姿を見ると、多財餓鬼を思い出します。多財餓鬼はどんなに財産を持っていても満足できずガツガツしている人です。皆さんの周りにはいらっしゃいませんか?私は個人的にお金の持つエネルギーに興味があるのですが、お金持ちが天国に行くことは、ラクダが針の穴を通るより難しい・・・など、様々な宗教で、お金持ちは天国に行けないという逸話が多数出てきます。単純に儲けることが悪なのではなく、儲けたお金を、志事を通じて世の中に還元し、きれいな清流を循環させないことが悪だということでしょうか。
「富は神からの委託物である」アメリカの鉄鋼王アンドリュー・カーネギーの言葉です。カーネギーの名言にも、富は神からの委託物だから、お返ししていかなければならないという意味が含まれています。商業人や実業家に神様が資本を預け、用があった時にその資本を使うように、またその時のために資本を増やしてくれと神様が頼んだのだという考え方です。生きている間は資本を増やすことを天職として一生懸命に努力し、死ぬときは預かった富をお返ししてあの世に行く。こうした考え方から、カーネギーは親の遺産を子が継ぐ時に、相続税をかけることを提案したそうです。つまりカーネギーの考えた相続税は、神から預かった富をお返しするという意味を持っています。
そんな相続税の大切な意味を、どれくらいの税理士さんが愛をもって語れるでしょうか。今、世間を見渡すと、残念ながら、一円でも相続税を安くしようと、やっきになって猿知恵を求める世の中です。こんな時代だからこそ、今一度、お金という良心探知機を通じて、きれいなお金が社会に循環するよう、そんな意識を広め、ひも解いてゆきたいと思います。

2017.08.01

中年の危機

唐突ですが、私は自分が100歳で長寿を全うすることを知っています。もっとも、私が100歳になった時には、100歳は長寿ではなく平均寿命になっているかもしれませんが・・・ちょうど50歳になった去年辺りから、生きる情熱というか、エネルギーの質が変わってきた気がしてなりません。車に例えたら、シフトをトップギアからロウに落としたような、良い表現をすれば、穏やかになった、優しくなったとも言われます。

 

しかし、自分自身の本当の気持ちは、全力疾走せず力を抜いて走っている・・・何やら怠けて手を抜いているような、妙な後ろめたい感覚に時折襲われます。今までは、休むことなく、憑き動かされるように働き続けてきたのですが、最近では、家族の重要性を実感したり、地球の未来と繋がっている自分を内観したり、本当の幸せとは何か?そんなことを静かに考える自分に驚愕の思いでいっぱいです。数年前までは、志に向かって邁進こそ、充実した人生、死んだら永遠に眠れる、そんな風に考えていた自分の心の変化を咀嚼できずにいました。

 

そんな折、先日、久々に聞いた「中年の危機」という言葉に、自分の心を見透かされたような感覚に陥りました。多くの人々が、人生の折り返し地点で、これからの生き方や自分の存在意義について思い悩み、今まで価値があったものに対し、価値を見出せなくなり、今までの生き方に関心を失い始めるそうです。しかし、これをうやむやにせず、この危機に正面から向き合い、これを乗り越えると、新しい可能性や創造性への飛躍の扉が開かれるそうです。故に、中年の危機は意義深い停滞とも言われているそうです。

 

今、私の最大の喜びは、「お父さん、調子いいよ~」という、母からの嬉しそうな電話です。恥ずかしながら、私は、母の報告に一喜一憂しています。父は末期の肝臓癌で、母が自宅で看取ることを決意したのです。晩年に差し掛かり、晩節を汚す勢いだった父と母が、二人で最後の魂磨きをしている誠をつぶさに見せつけられ、人間にとってこれ以上尊いことがあるのかというカルチャーショックが、私の心の変化の最大の要因です。

 

父と母の魂磨きに触発され、私と妹も、つべこべ言わず顔を見に行き、泊まれるときは泊まります。一日最低5回は来て下さる介護の方々も天使の様な笑顔です。ご近所さんは、母をねぎらい、交代で毎日夕食を作って母に届けてくれます。まるで魂磨きのチームです。

 

父は自分の命の限り、私が一皮むけるよう、私に何かを教えようとしてくれています。お陰様で、私は中年の危機を乗り越えることが出来そうです。いざ、慈愛の人への新しい扉を開き、一歩前へ!!前進あるのみ!!

2017.07.01

過ぎたるは猶及ばざるが如し

長所と欠点は紙一重、表裏一体、深く反省することがありました。私には、自分でいうのもはばかられますが、人が大いに共感して下さり、心の琴線に触れるような部分と、人が絶対触れられたくない部分に、土足で踏み込む圧倒的な無神経かつ傲慢な部分があるようです。


現象として現れる割合が、後者の部分が数年に一度のため、何とか事なきを得て、事務所は今まで成長することが出来ています。後者を自覚できているのが氷山の一角、みんな我慢してくれている・・・そう謙虚に受け取り直せば、綱渡りを続けてきたのかもしれません。他人の綱渡りはよく見えますが、自分が綱渡りしている姿はなかなか見えません。

ところが数年に一度、そうは問屋が卸さないと言わんばかりに、人との縁をバサバサと鉈を振り下ろすように斬ろうとする方と触れ合います。その方は、人より純粋な側面と、人を赦さない強さ、冷たさ、気高さという、私にはないアイデンティティを持っておられます。私ははっきりした性格ですが、明らかに甘ちゃんで、厳しさに欠けるところがあり、最後の最後には譲歩、自ら縁を切ることなど、生まれてこの方、したことがありません。

私と違って縁を切ることに躊躇しないタイプの方が私に教えてくれることは、過ぎたるは猶及ばざるが如し、過ぎたるは悪であること。自分だけ満足し、人と親しんでいるつもりになっていないか?過ぎたるを防ぐには、差し障りのない関係性、更に言えば、的を初めから外しておけば問題は起こりません。しかしながら、そうすることで、大いに共感して下さり、心の琴線に触れる喜びも無くなり、大袈裟でなく、私がこの世に存在する意味すら失われます。


大切なことは、こちらが主体性を保てる間合いを保つこと、そしてわからせてやろうという執着をとること、相手が動き出そうとしているか、自分が動き出しているか、良心の声を聴くこと。

ある本の一説が、私のくすぶりをふっしょくしてくれました。厳格と冷酷、能弁と多弁饒舌、勇気と粗暴、紙一重、長所というものは一歩調子に乗って度を超すとたちまち欠点となります。自分の欠点を反省し、これを除くという努力が実はそのまま長所を伸ばすことになる。長所と短所は別物ではなく同一物、ただそれが反省により浄められるか否か、ただそれだけの相違に過ぎない(修身教授録)。過ぎたるは猶及ばざるが如し、常に的に的中できるよう、反省あるのみ!!祓い浄め、長所を伸ばしていきたいと思います。

2017.06.01

五倫五常

新緑の風薫る晴れた日、ある勉強会で耳にした話に、私は心洗われました。それは陽明学講座でのこと。私は今年、陽明学の勉強を始めました。前から単発の勉強会には定期的に参加していたのですが、一度ちゃんと勉強してみたいと思い、一年コースの講座に申し込みました。

 

陽明学は深さの学問、身を修める唯一の学問であり、ずばり聖人の道を説いたものです。知識を教わるというより、えぐる、感じる、揺れ動かされる時間であり、毎回毎回、嘘つきな自分の心の奥底が透けて見え、穴があったら入りたい気持ちにさせられることばかりです。しかし、正面から魂磨きに向き合うのは何とも清々しいもので、帰る道すがら、いつも憑き物を祓ってもらったかのような、慈愛に満ちた状態になります。

中でも、先日教えて頂いた五倫五常の話に、今後の人生が変わるくらい、身を引き締められ、心を洗われました。倫とは、人と人をつなぎ結ぶ道、常とは、いつでもどこでもある徳のこと。五倫とは人倫の道。父子、親有り、親しみあうこと。君臣、義有り、正し合うこと。夫婦、別有り、ものを生み出す智的な関係であること。長幼、序あり、尊敬され尊重する譲り合いの関係であること。朋友、信有り、信じ合い、偽りなきこと。それぞれの関係性において、五常、つまり、仁、義、礼、智、信を貫き生きること。極々当たり前のことですが、つい疎かにしてしまうことばかりです。

一つ一つの関係性において、五倫五常を真摯に実践することが、聖人への道につながると言われ、私は背筋を正し、自分の行いを省みました。父の介護を献身的にする娘を演じながら、心の奥底では煩わしく思っている私。スタッフに良心を判断基準にと言いながら、諫言されて、むっとしてしまう私。夫を大切にと思いながら、いつも正しいことを言う主人に、つい傲慢な態度をとってしまう私。恥ずかしい限りですが、祓い給え、清め給え、一つ一つ祓い清めるしかありません。

五倫五常とは、こちらの主体性を保つ間合いのようなものとも教えていただきました。経営は誠の発展道場、どんな問題が勃発しても、常に主体性を失わず、つまり、何事にも執着せず、しなやかに生きる所作を必ず習得し、少しでも聖人の域に近づきたいと思います。

ふと空を見上げた際、自分がこのようなことを欲し、真剣に学びたいと思わせて頂くに至った、重々無尽の縁起への感謝が、そこはかとなく湧いてきました。すべてに感謝し、日々誠実に毎日を積み重ねていきたいと思います。皆さんも一緒に陽明学を勉強しませんか?興味のある方は是非、お声をかけて下さい!

2017.05.01

幸せの醍醐味

お陰様でIdoは、2017年4月8日をもって、14歳の誕生日を迎えることが出来ました。

 

生まれてこの方、本能の赴くまま、我慢とは無縁の人生を歩んできた私に、人を雇用することなどできるはずがない!商売の大先輩である父の予言通り、前が全く見えないほどの深い私心の霧の中を、両手で振り払いながら全力で走ってきた14年間でした。この14年で学んだことはたくさんありますが、一番変化したのは、幸せというもの・・・についての実感です。

数年前までの私にとって、幸せとは、楽しい、うれしい、美味しい、そんな心地よい経験を表し、そしてそれは、噛みしめても噛みしめても溶けてなくなる綿菓子のような、そんな儚げな実体のない掴み難いものでした。しかし、いつの時点からか定かではありませんが、ふと物心ついた時から、幸せとは、じわじわと腹の底から湧き上がり、身体をすっぽりと包み込む温かな光、しみじみと感じ入る有難さに変わっていました。頭を心で下げると自然と深々としたお辞儀となり、両手を合わさずにはいられません。

思えばこの14年間、たくさんの人々が、様々な姿を通して、私に手を変え品を変え、魂と喧嘩しないよう、手ほどきをしてくださいました。盲(めくら)千人、目明き千人、世の中には物事の道理がわかる人もいれば、良心はあるけれど、道理がわからない人も大勢います。世間の包容力に対し、私の甘えが過ぎ、無意識に怠けていると、目明きの人が目が覚めるような経験もさせて頂きました。

私の場合、感謝の前には、必ず、自分の悪の根とすさまじい闘いがあります。魔との闘い、油断大敵、常に、自分の心の魔の所業と闘っています。一瞬一瞬に変化する自分の心に、太陽を昇らせることが出来れば、自然と良心が顔を出し、いのちが再び輝き出します。

事務所の誕生祝いを兼ねての慰安旅行の道中、しみじみ幸せを実感しました。こんな私を理解し、応援してくれている家族、壁に体当たりし、直角にしか曲がれない不器用な私と、時に負傷しながらも、笑顔で共に歩んでくれている事務所のスタッフ、そして、良いところも不出来なところも全て飲み込んでIdoを愛して下さっているたくさんの風変わりなお客様や友人・・・私はあふれんばかりの愛に包まれています。これから先、どんな困難に出会っても、幸せだから、乗り越えてゆける自信があります。そんな幸せの醍醐味を感じ入る境地にたどり着けたことに、心から感謝します!

2017.04.01

清貧の頂きへ

春うらら、大いなる神の遣いたちが冬眠から目覚め、命の芽吹きが私たちを優しく包む今日この頃、気が付けば、清貧を絵に描いたような人々が、次から次へとIdoの門をたたきます。その人たちは、まるで、斧を二つ携え、泉から浮き出てきた仙人のように、私に命題を投げかけます。

 

清貧と言えば、自利を排し、神仏のような人格を目指す境地、宗教家や学者であれば、最上位、敬われる境地かもしれません。しかし、私たちは経営者、自己の充足感だけで終わるわけにはいきません。皆、一様に、一抹の物足りなさをぬぐえず、全体最適、永続的な幸せと、経済合理性の両立のジレンマを強く抱えています。

 

自社の利益を追求するだけで充足できる境涯の経営者からすれば、何に悩んでいるのかさえ分からず、お互いに否定し、歩み寄ることはありません。人として最低のステージは濁貧(濁った貧乏)、その上が濁富(濁ったお金持ち)、更にその上位に来るのが清貧、その清貧の頂きにそびえているのが清富の世界です。自分自身が濁富という砂の城に君臨していることに気づくことができるきっかけは、平等に神様から与えられます。しかし、残念ながら、そのお告げが耳に届く人と届かない人がいます。せっかく耳に届いても、家族の為、従業員の為、お客様の為という、三大私心の雲を払う努力をせず、欺瞞に満ちた毎日を謳歌するうち、そのお告げは聴こえなくなります。

 

せっかく天からのお告げを耳にし、命題を頂いたのであれば、その人生を懸けて、私心の雲を排し、挑戦してみたい!!そう決意した人々が、どうやらIdoの門をたたくようです。私たちはすでに、一人ひとりの「経世済民のものがたり」を演じています。冒険映画のような派手さはないけれど、紛れもない一大スペクタクル映画です。監督も自分、主役も自分、脇役を選ぶのも自分、そして、シナリオを描くのも自分です。

 

Idoに与えられた役割は何か・・・その人々が、良心を羅針盤に、心が折れてしまわないよう、鼓舞するだけでなく、大げさかもしれませんが、知恵の蔵を共に開き、その叡智を集結すること。一人一人は無力でも、一燈が万燈となるよう、共に清富への道を歩むことではないか・・・圧倒的な力不足、役不足は棚に上げて、そんな風に感じている次第です。

 

金儲けの活動は必ず人間を鍛える道場となります。私たちは、志を持って道を求める人々が、決してお金で困らないよう、清貧の頂き、清富の山へ誘うこと。今年、春一番に乗って、そんな神の囁きを耳にしました。お告げを頂いたからには、迷わず歩むべし!まずは、自分自身の特大サイズの私心の雲を必ずや取っ払います!!

2017.03.01

めばった木

大変悩んでおられるお客様がいました。いわゆる成熟しきった業界、先代が天才ゆえ、カリスマ的に店舗展開、手広く事業を拡大しましたが、時代の変遷と共にずれが生じ、売上が減少、設備を必要とするお仕事のため、借入金の返済が重くのしかかります。古参社員さんたちに厳しい現実をどう伝えるか、とにかく問題山積み、どこから手を付けていいやら・・・
 
社長を引き継いで数年間、結果を出せていないその方は、厳しい面持ちで事務所の勉強会にやってきました。ひとしきり、社長が悩みや問題点満載の体験発表を終えたとき、重苦しい空気が会議室に立ち込めました。
 
私も担当者も、その空気にすっかり飲み込まれていた矢先、その場の空気を一変する、起死回生の天の声を頂きました。藁をも掴もう、その方の祈りが通じたのでしょうか。大尊敬して止まない、かつ大親友である、その方の意見は、大いに勇気と希望を与えるものでした。

「めばった木」それは、とんでもなく成長が遅い木。周囲の木は優に20mを超えて成長しています。普通なら発育不良と間引木されそうですが、逆に、日当たりが悪い、水はけが悪いなど、これだけの悪条件の下、根っこが腐っていない木は、とびっきりの大木に大化けする可能性を秘めている木として、とても大切にされるそうです。
 
他の木が、お日様の光を浴びてグングン背を伸ばしている間、めばった木は、粛々と根を養い、栄養を蓄え、時が来るのをじっと待っています。そして、条件がそろったその時、信じられない爆発的な成長を遂げ、普通の木の何倍も強くて力を秘めた名木となるそうです。大切なことは、伸び悩んでいる間、根っこが腐っていないこと。
その方は迷いなく、社長がその「めばった木」であると明言しました。思い起こせば確かに、一見のんびり屋にも見えるその社長は、この数年間、腐ることなく現実を客観的に受容し、様々な制約の中、折れることなく、できることを飄々と積み重ねておられました。私には到底真似できないことです。

その瞬間、周囲の社長を観る目が激変しました。私はその社長を、ただ表面的に見ていただけで、社長の背後にある徳を観ていませんでした。社長だけでなく同席されていた幹部の方の顔色まで変わった事を私は見逃しませんでした。

事態は何も変わらなくとも、心の有り様で人はここまで奮起できる!希望を持つことがどれだけ人に力を与えるか目の当たりにしました。あとは実践あるのみ。早速、作戦会議のスタートです。

私たちは皆、誰もが「めばった木」、そして社会は「めばった木」が群生する森なのだ!そう考えたらクスクス笑いがこみ上げてきました。私も腐ることなく積小為大、毎日を懸命に生きようと思います!

2017.02.01

親思う心に勝る親心

年が明けてあっという間の一か月、今、私の心を占めるものは、仕事もさることながら、私の両親の暮らしにあります。幼き頃から畏敬の念を抱き続けた父、気丈で天真爛漫だった母は、数年前から別人です。残念ながら、時間と共にその差は開く一方です。周囲を見渡しても、多くの方々が、大なり小なり、介護の問題を抱えておられます。

 

男性には、仕事優先という大義名分がありますが、女性は良い意味で、公私の区分など、もともと脳にありません。生活すべて仕事、家庭の困りごとを解決するのも、お客様やスタッフの困りごとを解決するのも同じです。親に感謝する、そんな当たり前の次元を超越した、祈りのような感覚です。

 

何かをしてもらったから、尊敬できる人だから、優しい人だから、多くの人は、人から何らかの恩恵を被った場合に感謝しますが、それは感謝という幸せの門をくぐっただけ。与えて頂いたことを当たり前に思わず、感謝するだけましですが、どこか、“してもらったから感謝する”という受け身の匂いがします。

 

もう少しその道を進むと、「わが身は父母の遺体」という言葉を思い出します。無量の因縁の重なり合った結果、平和な日本に生まれてきたことを、親だけでなく祖先への感謝へと、思いが馳せます。口を開いては仕事仕事と言う、出来損ないの女性である私に、徳を積ませてくれるために、父も母も今までとは別の姿で面倒をかけてくれている、それを面倒と捉えず、お世話をさせて頂けることが心から有難い、そう感謝できるような人間に成長したい・・・これが嘘偽りのない、今、私の心を占める問題意識です。

 

「親思ふ心に勝る親心けふのおとづれ何と聞くらん」29歳という若さで獄死した吉田松陰の言葉にあるよう、諸縁の始原である親の深い愛を受けていることを、どんな状況にあれ平常心で感じ取り、その愛に満たされていたいと強く思います。

 

最後に、ある本で読んだ「方丈記」のエピソードがふんわりと私の心に留まっています。「別れ難い妻や夫をもつ者は、その愛情がまさったり、深かったりする者が、必ず先立って死ぬ。そのゆえは自分の身はあとにして、妻や夫を心配するあまり、やっと手に入った食べ物でさえ、その人にあげてしまうから。親子であればなおのこと・・・」時代背景は違えど、理性では計りかねる命のリレーを脈々と行っている私たちが、決して忘れてはならない大切なものを、私は両親から伝授されている・・・そんな気がしてなりません。心して精進することを皆様に誓います。

2017.01.01

心耳を洗う

新年明けましておめでとうございます。昨年中は格別のお引き立てに賜り、厚く御礼申し上げます。本年もご愛顧の程、何卒よろしくお願い申し上げます。

 

時代が大きく変遷する鼓動を感じる、今ここ、人々の行動は様々です。あまりにたくさん押し寄せる情報におぼれ、せっかく今まで積み重ねてきたものに価値を見失い、だるま落としのように切り捨てようとしている人。我、志に生きる、世情など耳に入らない・・・自分に微塵の疑念も抱くことなく我が道を邁進する人。今日のパン、明日のパン、それ以上のパンのことを考える余力を記憶の彼方にふたをし、自ら無自覚に小市民を演じる人たち。

 

時代の波に翻弄される、昔からよく評論家が口にする言葉ですが、不安をあおり、不幸な気分にさせることが商売の人たちが、声高らかに檄を飛ばす姿が、利潤追求のために戦争を仕掛ける武器商人と重なるのは私だけでしょうか。もちろん無知は罪、変わらないために変わる、不易流行、自らの魂を磨くために自ら進化することは生きるために必須です。

 

そんな中、ふと、静かに自分を客観視すると、サラサラ、流れの中にたたずむ自分がいます。サンサーラ、梵語で輪廻転生という言葉を思い出しました。様々な人たちと真摯に関わりながら、どれが進むべき道なのか、お金にまつわる仕事を通じて、魂の修行をしています。

 

得は負債、徳は資産、得することが人の得を奪うことになれば、徳を失います。自社の売上が徳の積み重ねになっているか、お金とは徳の積み重ねです。得をし続けている人ほど人の得を奪うことに何の疑念も抱きません。

 

人生最大の病は傲慢なり。こんな変化の時代だからこそ、足元を固め、本物の実力を養う必要があります。経営の課題は、いつの時代も変わらず、善の創造です。善とは、人間のいのちそのもの、そして、いのちに役立つ物資、情報、意味、価値、文化、さらに、そのような善を創りだす活動をいいます。

 

新年に当たり、もう一度、自分の仕事は善を創造しているか?自問自答してみませんか。すぐに答えが見つからなくても、現時点での答えを出し、一生考え続けること。根っこが定まらないのに、戦略で耳を汚しても意味を成しません。根っこを定めるためにも、心の耳、心耳を洗い、誠の道を探求していきたいと思います。皆さまにとって、そんな求道の一年となりますように。

 

Ido一同、誠心誠意、歩んで参りますので、何卒よろしくお願いいたします。

2016.11.01

死生観のようなもの

 先日、記念すべき50歳の誕生日を迎えました。

奇しくも事務所の合宿初日と重なったのですが、まるで命の源泉に直接充電するかのような、穏やかで優しい誕生日となりました。

今までたくさんの誕生日を迎えてきましたが、記憶に残る限り、最も慈愛に満ちた誕生日でした。

 

中でも一番うれしかったのは、スタッフのみんなと、「心に残るありがとう」というタイトルの作文を順番に発表しあったときのことです。

一人ひとりの作文の中に綴られたスタッフの優しさと愛があふれて、森の会議室に入りきれないほど充満しました。文章のうまい下手を超えた真心の波動です。

 

私が生まれるずっと前から、喉から手が出るほど欲しかったものが、この慈愛だと気づきました。他には何もいりません。

まぎれもなく、お互いを護り、高めるために、人知を超えた神の計らいにより、参集している・・・

もっとお互いを信じなさい、関わりなさい、自分が必要とされていることを知りなさい。

一人ひとり生まれてきたことに意味があり、生きていること自体が生きている意味、一人ひとりが魂を高め、生かされている意味を知り、

感謝で地球を満たすことが生まれてきた意味かもしれません。

 

こんな風に感じるようになったきっかけがあります。50歳の節目に当たり、立て続けに、身近で大切な人の死に遭遇したからです。

死が現実のものと認識され、リアルな死生観のようなものをイメージするようになりました。

 

「中尾さんは何歳まで生きる?」と問われた時、率直に百歳と頭に浮かびました。

百歳まで生きたとしたならば、ちょうど50歳は人生の折り返し地点、改めて何のために生きるのかを考えることが多くなりました。

今、素直に私がすべきことは、自分の心の中の茨を取り除くこと、茨を取り除いたそこには本当の私がいます。

怠けることなく自分にそそぐこと、もし自分が怠けていると感じるならば、自分を大切にすることに怠けているということ。茨の中にいては何もできません。

 

私は今まで社会の役に立ちたい、そのためにシャカリキに私が進化しなければならない、そんな良心病に取りつかれていました。

その思いに嘘はありません。ただ、自分を赦さない人間が人を赦せるはずがありません。人を赦さぬ人間が社会の役に立てるはずなどありません。

人は不完全なもの、人を赦し、自分を赦し、慈愛に満ちた人生を歩みたいと思います。

 

「私は幸せだった」と最後に思える人々に満ちた、感謝と慈愛の星を、将来世代に遺したいと思います

2016.09.01

笑顔のゆくえ

先日とある勉強会にて、身につまされる話を聞きました。反省至極、姿勢を切り替えるスイッチを入れて頂いたので、皆さんとも共有したいと思います。

 

危機感という言葉、最近特によく耳にしますが、深く意味を考えたことがありませんでした。

危機感という言葉を分解すると、危は危険、リスク、機は機会、チャンス、そして感は感じる。危機感を共有することの本当の意味は、そのリスクとチャンスを感じとれるように、経営方針をたてること。

今のような先が見えない時代、私を含めて、経営者の皆さんがやってしまいがちなことは、経営幹部や社員の皆さんに、不安やリスクばかりを大げさに語ることではないでしょうか。まさしくそれは危機感ではなく不安をあおる事です。

 

昔から、“不安をあおるのでなく危機感を持つこと”という言葉は知っていましたが、言葉尻だけをとらえていました。

こうすればこのリスクをチャンスに変えることが出来る!という物語が描けていないのに、クドクドとリスクを語るのは、その不安に耐えかねての愚痴に過ぎません。そのリスクをチャンスに変える方針を含めて、経営幹部や社員の皆さんに語りかけ、勇気を奮い立せてもらうことが危機感の共有であり、経営者に今一番求められることかもしれません。

 

私がやっていたことは逆にモチベーションを下げること。儲からない仕組みを経営者が考えておいて、従業員さんに頑張れ頑張れと言っても、従業員さんがかわいそうです。

ふと周りを見渡すと、変化のスピードに人間の処理能力が追い付かず、みんな目の前のことに追われ、急いでいます。

特に労働集約型の仕事の場合、単価が下降する分、効率化を図らないと仕事として成立しないジレンマ、そこに笑顔はありません。

新しい仕事の価値を創造することは決して簡単なことではありませんが、経営者が後ろ向きにならず、やれる!という強い意志の元、明るく前向きに知恵を絞る姿に共鳴し、経営幹部や従業員さんが才能を開花させるのではないでしょうか。それこそが運命を打開するただ一つの切り札であると感じました。

柄にもなく、不安に負けそうになるのは、ジ、エンド、笑顔でとことん知恵を絞りたいと思います!

2016.07.01

内助の功

私は今さらですが、お金に深く関わる仕事をしています。お金というフィルターを通して人を見ると、普段の言動とまるで違う方が結構いらっしゃるのが現実です。しかも、それが言行不一致だという自覚が全くないという方が多いのが大きな特徴です。倫理と法律が両輪でないことが、そもそもの問題ですが、「法律には違反していません、何がおかしいのですか?」という論理です。連日報道されている舛添都知事もその代表選手です。ニュースを見ていて辟易しているのは私だけでしょうか?厚顔無恥、もし自分の夫だったら、どんなことをしても良心に目覚めてもらいます。品性の欠落、相容れません。どんな立派な美辞麗句を並べ立てても、公私のけじめもできない卑しい人は決して信用できません。

 

職業柄、税務調査に立ち会うことが多いのですが、中小企業の社長の方が、よほど公序良俗の倫理観を持ち合わせておられ、お金にも綺麗です。最初は皆さん、「税金の使い道を正してくれないと、税金を払う気にならない」と口をそろえておっしゃいます。こんな時代、無理もありません。しかし、「それでは同じ穴の狢、鶏が先か卵が先か、人は変えることが出来ませんが、自分は変わることが出来ます。事を正すなら、まず自分から、良いことをして忘れる・・・従業員さんが見ていますよ。一緒に税金を払ってお金が残る資金の体質を創りましょう。」といった対話を繰り返す中、実直な中小企業の社長の面々は、少しづつ、少しづつ、変化を遂げられます。

 

お金はどんな嘘発見器よりも精巧な良心探知機です。勘違いしがちですが、お金は自分の手元にありながら、それは今だけの事。今留まってくれているだけです。世間様からお預かりしているだけ、金は天下の回り物とはよく言ったものです。

世界に目を向けると、日本ではあまり報道されませんが、世界を震撼させているパナマ文書の問題、寄付行為をしたり顔で公表しながら、私的法人へ財産を移管する大物企業家たち。世界の要人たちがこぞって合法的に税金逃れ、なぜ人はこうまでして得をしたいのでしょうか。世界的に道徳と倫理観が失われています。人類の叡智は更なる善の創造に使われるべきであり、姑息な目的に使われるべきではありません。

 

私は常々、父から、「人間は死んだとき、自分のやってきたことについて、えんま様から裁きを受ける、お天道様が見ている、内助の功を心がけなさい」と聞いて育ちました。今から思えば、えんま様は自分自身です。妻が夫を助けるという、小さな内助の功に囚われるのではなく、諸行に対し、私心を捨てて内助の功を心がけなさいと言われていたのかもしれません。世に惑わされず、自分自身に恥ずかしくない、まっとうな毎日を積み重ねてゆきたいと思います。

2016.05.01

創と傷

 春爛漫、気持ちの良いそよ風と共に、新しい命が息吹くこの季節、私たちIdoは、2016年4月8日をもちまして、13歳の誕生日を迎えることが出来ました。スタッフ、お客様はもちろん、至らぬ私たちを応援し続けて下さっている、関わるすべての皆さまのお蔭です。この場を借りて、皆さまに感謝の気持ちを伝えたいと思います。本当にありがとうございます。

 

 その誕生日をスタッフと共にお祝いしようということで、4月7日から慰安旅行に行ってきました。当初の目的地は長崎、軍艦島でしたが、なんと飛行機が天候不良のため欠航!!何とか熊本経由に飛行機を変更することが出来、気を取り直して出発したのですが、まさかの着陸不能で、再び伊丹空港にUターンするというハプニングに見舞われました。

 

 自分の普段の悪行を今更ながら後悔したのですが、次の行動を決断しなくてはなりません。時間も午後1時を過ぎていたこともあり、急遽、親しいお客様が懇意にしている淡路島の温泉旅館に行き先を変更することとなりました。

 

 初日は昔ながらの浴衣で大宴会、卓球大会と盛り上がり、翌日はキャンプ場のコテージに場所を移し、皆には自由時間を満喫してもらっている間に、毎日のせめてもの罪滅ぼしにと、私と浜西さん二人で、神戸牛、海の幸山の幸大バーベキュー大会の準備をしました。若いスタッフたちがビンゴゲームを用意してくれたこともあり、大変盛り上がり楽しい誕生日を過ごすことが出来ました。

 

 波乱に満ちた慰安旅行でしたが、禍転じて福と為す、かえって思い出深い誕生日となりました。

 

 Idoの慰安旅行はスタッフの半額負担で、毎月お金を積み立てしています。スタッフ各々に思い描いていたプランがあったと思いますが、誰一人、不満顔を見せず、事態を前向きに明るく受け入れ、楽しむスタッフを見ていると、少しイライラしていた自分が恥ずかしくなり、日々の行いそのものが現れ出ているような気がして、心の中で懺悔する始末でした。

 

 私は皆に支えられている・・・今回の旅行を通じて強く実感すると共に、彼らの底力にやっと気付き、心の底から温かい気持ちになりました。感謝の反対は当たり前、今まで見えていなかったことを反省し、大きな勇気をもらいました。

 

 私たち会計業界は大きな変化の波にさらされています。経営者だけではその変化の荒波を乗り越えることが出来ません。業界の衰退を憂うのではなく、同志を信じ、敬い、共に高めあい、進化発展していく覚悟を決めるのみです。

 

 創とは傷を伴うもの、皆とならその傷を乗り越え創造することができる!思いもよらない大きな経験価値を神様からプレゼントしてもらいました。クライシス危機には分岐点という意味があります。危機感を噛みしめるだけでなくチャレンジへの分岐点とします。

 14年目に突入したIdoにご期待下さると共に、見守って頂ければ幸いです!!今後ともご指導ご鞭撻のほど、何卒よろしくお願いいたします。

 

2016.03.01

税金いくらなら払えますか?

今年も確定申告の季節到来です。残念ながら、うちの事務所はそれほどたくさん確定申告のお客様はいらっしゃいませんが、それなりに繁忙期の雰囲気です。昔は2月に入ったら毎日終電、土日出勤は当たり前でしたが、電子申告の影響もあるのでしょうか?単純な仕事が激減しました。確定申告相談会なども各地で開催され、私も年に一度、風物詩として従事するのですが、この時期になると毎年、税理士が社会から必要とされる所以を考えさせられます。会計事務所の仕事って何だろう?元来、当たり前ですが、適正に税金を計算すること。しかし、その「適正」に、人の判断が介在するため、世の中を悪くしてきたように思います。

 

2015年6月末時点で約7割の会社が赤字申告をしています。逆の言い方をすれば、約3割の会社しか納税していません。 昭和40年代に4割以下だった赤字申告法人割合は、50年に4割を超えました。55年以降は5割超、平成5年以降は6割超、そして20年以降は7割超の状態が続いています。わずか40年で「黒字6割、赤字4割」から「黒字3割から赤字7割」に大きく悪化しました。

 

高度成長期の終焉、リーマンショック、少子高齢化など、社会経済の影響をうけていることは間違いありません。しかしそれだけでしょうか?

 

先日ある方に聞いたお話ですが、士業は、①昔ながらの保守的な先生②良心にふたをして精力的かつドライに営業するビジネスマン③やるからには社会のお役に立つ仕事がしたいと真摯に切り拓こうとする人、その3つのタイプに分かれるそうです。なかでも②のタイプが台頭、業績を伸ばし、世の中を悪くしているそうです。

 

税理士も同様、「税金いくらなら払えますか?」物心ついていない経営者の方は「それなら少ない方がいい」と答えます。税金を少なくするとお客様が喜ぶから・・・それが理由です。私にも昔そんな時期がありました。お客様自身の意志で赤字申告を選択するのは別ですが、会計事務所が、節税という言う名のもと、税金を少なくすることを是としてミスリードしてきました。不本意ながらも、私たち税理士が、赤字会社を量産することに貢献しているのではないでしょうか。

 

ある意味、国から守られた仕事であるからこそ、やるからには社会のお役に立つ仕事がしたいと真摯に切り拓こうとする税理士が一丸となり、関わる人々の夢や希望を叶える担い手となり、豊かな将来世代を育むことに貢献したいと思います。

2016.01.01

わき道の風

新年明けましておめでとうございます。昨年中は格別のお引き立てに賜り、厚く御礼申し上げます。本年もご愛顧の程、何卒よろしくお願い申し上げます。

昨年一年間、私にとって大きな変化がありました。自分で言うのもおこがましいのですが、穏やかになったというか、受け入れることが出来るようになりました。

人格者の方と比較するとまだまだですが、自分でも不思議なくらい、怒りの感情が心の中から消えました。

 

長年、自分の欠点を克服しようともがいてきましたが、気がついたらあっさりとなくなっていました。まるで、心の中に長い間植わっていた雑草を、

根こそぎ引き抜いてもらったような感覚です。

 

原因は定かではありませんが、昨年、一昨年と2年にわたり、自分でもびっくりするくらい、家のこと、正確には、両親の介護、そして愛犬の介護に時間を費やしました。

物心ついた時から仕事サイボーグだった私にとって、仕事を疎外する事柄自体が存在しませんでした。言い方を変えると、仕事しかしていない、脇目もふらず前しか

向いてなかった私が、ふと、仕事という一本道からわき道にそれたわけです。そのわき道には、今まで見たこともない風景があり、感じたことにない風が吹いていました。

 

不思議と仕事が遅れるという不安はなく、なぜか優しくて、懐かしいものが私の中に沸き上がりました。すでに自分の中に有りながら気づいていなかったもの、

それを母性というのでしょうか・・・結果的に、至極の贈り物を神様から頂きました。人の心の痛みが少しはわかるようになったこと。

皆、支え合い、何人も懸命に生きていること。そして何より、今、有る事への感謝でした。

 

常々、今有る状態を、自分が頑張ったから得ている成果だと信じて疑わなかった私は、スタッフは出来て当たり前、お客様も努力したら業績上がって当たり前、

結果が出ないのは、その人が怠けているからだ・・・傲慢極まりない人間でした。仕事サイボーグのままだったら、決して気づくことができなかったことばかりでした。

そんな中、先日ある研修にて、「あなたが会社に感謝するところ」という作文を書く機会がありました。最初は何を改まって面倒だな・・・という気持ちで書き始めましたが、

書いているうちに不思議な感覚に襲われ、涙でいっぱいになり、目の前が見えなくなりました。当たり前の殻を破った途端、怒涛のように感謝の嵐に見舞われました。

 

思い返してみれば、開業して12年、関わる全ての人々への感謝の積み重ねでした。

新しい年のスタートに当たり、今有ることに感謝し、しっかりと根を張り、更なる感謝を積み重ねて行きたいと思います。わき道の風に心から感謝です。

2015.12.01

先日、「道」というテーマのフォーラムに参加しました。

二日間に渡るフォーラムを通じて受け取ったメッセージ、それは良心の目覚まし時計。神様が壇上に降りてきて、「あなたのお題はこれですよ!」と、白い封筒を手渡してもらったような・・・聴衆一人一人が持つ、天からの手紙を受け取るきっかけを創造して頂いたような・・・そんな何とも言えない、生きることの根本的な意味を考えさせられる時間となりました。

 

そしてその時間は、元来、私が抱きやすい観念の構造を優しく上書きしてくれました。

神様、すなわち、一人一人の中に存在する良心。自分の良心に忠実に自由に生きよ!

良心は囁いていました。今までの私は、変わること=今のままではダメ、現状の否定をイメージしていました。

現状の否定からはどうしてもネガティブな匂いが漂います。頑張っている人の話を聞くと、自分はできていない、今のままではダメだ・・・と否定の警鐘をガンガン鳴らします。自分はダメだは言い訳の最高峰。自分自身を責めることにより、周囲も責めています。しかし、今回、天の導きにより、観念の構造を上書きすることができました。

 

私には、私を信じて手を差し伸べてくれる両親、家族、スタッフ、お客様、そしてたくさんの同志がいます。今の自分を認めることは、今まで自分が受けてきたすべての徳を自覚し、その恵みに感謝すること・・・すなわち根を養うこと。根を養うことにフォーカスすることを疎かにしていたように思います。

 

すでにたくさん受けている徳に感謝した上で、劣等感や自分に対する無価値観を肯定的に前向きなバネにする・・・そう考えると、何か大きなことを成し遂げなければならないという不自由な呪縛から解放され、自由で優しい気持ちになりました。自分が幸せだと感じたなら報いること。感謝は必ず形にすること。幸せと感じるなら即行動、実践すること。ごく自然です。人間は万能ではない、でも無力ではないと教えて頂きました。そんな謙虚な誇りを胸に、自らの良心が持つ大欲を信じて、自分の道を歩んでいきたいと思います。たくさんの気づきを与えて頂いたフォーラムに心から感謝です。

2015.10.01

アポは受付順

先日、ある方からお聞きした話が心にぐさりとささりました。誰から見ても大変お忙しい方で、お時間を頂戴したのが心苦しく、丁寧にお礼を申し上げたところ、「中尾さん、アポは受付順!そうすれば楽になりますよ。一度約束したら、どんなに立派な方からのお誘いでも、先に約束したアポイントを優先するとこと。約束に強弱はない。」と言われました。一瞬当たり前のことで、聞き流しそうになりましたが、よく聞いてみると、大変奥が深く考えさせられるお話でした。ドタキャンしたり、約束を忘れたり、変更する人は、一度ならず度々します。あの人はいつもそうだ・・・そう囁やかれている人も少なくありません。その行動は、本人の信頼を損ねているのにもかかわらず、本人はそのことにそれ程気付いていません。言いかえると、アポイントを守る人は信用のある人。大袈裟に言うと、その行動は人格を司るとも言えます。自分自身の行動を省みて猛省させられるお話でしたので共有したいと思い書かせて頂きました。耳の痛い方もたくさんいらっしゃるのではないでしょうか。少しばかりスケジュールが埋まるようになると、自己正当化した理由により、器用に優先順位を決めて、誠実に立ち回っているつもりでも、ひと様、つまりお天道様は見ています。キャンセルしないとだめな約束は元々約束の仕方に問題があり、安請け合いをしない。前もって状況を考えて約束するなど、約束に対してもっと真剣に向き合うこと、つまり、真剣な約束をすること。私が結婚式をあげた沖縄のペンションのオーナーが、皇族の方からのお誘いを断って、一人の予約のお客様を優先された話を人伝に聞いたことを思い出しました。私はその一つのエピソードを聞いただけで、その人の人となりを信用し、たちまちファンになりました。人格を高めたいと本気で思うなら、まさに一つ一つの真剣な約束の積み重ね・・・凡事徹底することの大切さを久々に肝に銘じることができました。自己正当化を改め、「アポは受付順」シンプルな言葉に含まれる奥義、真髄を実践していきたいと思います。

2015.01.01

お賽銭

新年明けましておめでとうございます。

昨年中は格別のお引き立てに賜り、厚く御礼申し上げます。

本年もご愛顧の程、何卒よろしくお願い申し上げます。

 

 毎年、お正月の時期になると思い出すことがあります。私の実家は材木屋を営んでおり、幼少期は、会社に隣接する自宅に常時数人の住み込みの若い職人さんがいる大変にぎやかな家庭でした。夕食時は3人兄弟と共に、常にたくさんの大人がいましたので、父が仕事でほとんど家にいないことなど全く気になりませんでした。振り返ると、家にいない父と直接話すことはあまりなく、時折家に訪れるお客様や大工さんとの会話から父の人となりを聞いていました。

子供の頃、家に遊びに来られる職人さんは必ず私達に小遣いをくれました。その時、皆口々に「お父さんにはほんまに世話になってる、ありがとうな、内緒やで・・・」と言って、こぼれんばかりの笑顔でポケットから小銭をあるだけ掌に握らせてくれる人、たまにお札のしわを伸ばしながら手渡してくれる人・・・母に言うと、「気持ちだから両手を合わせてお礼を言いなさい」と言われました。小遣いをもらってうれしいよりも、お金はありがとうを運んでくるもの・・・今考えると、まるで皆さんからお賽銭をもらっていたような気がします。父だけじゃなく、自分も褒めてもらったようで、小さな子供ながらとても誇らしかった感覚を、今でもはっきり覚えています。

 あれから40年経った今、私も父と同様、商売という道を歩んでいますが、私は父の様に、こぼれんばかりの笑顔で、周囲の人から、「中尾さんにはほんまに世話になってる」と言われる生き方をしているでしょうか・・・売上がいくらとか、社員が何人とか、お金をいくら持っているとか、そんなことでは計れない、誠の徳を積み重ねる人の道を歩んでいるか?自分に問いをたてます。変えられないものは過去と他人、変えられるものは未来と自分。変われないのではなく、変わらないという決断を繰り返しているだけ・・・新しい年の幕開けに、自己を省み、軸を正す時間です。

今年も良心を判断基準に、誠で精進致しますので、ご指導ご鞭撻のほど、何卒よろしくお願い申し上げます。

 

すべてのものは変化する

一生懸命努力せよ

怠ること勿れ(お釈迦様最後の言葉)

2014.02.01

天を相手にせよ

 年が明けて早いもので、あっという間に一か月が経過しました。お正月の清々しい気の中で誓った自分との約束は継続されていますか?

 

 私の今年のミッションは、ずばり「他力」~自我を抑えて、耳を大きくし、人の話を能く聴き、情報を入り易くすること~今までずっと自分の最大の欠点だとわかりつつ直視していませんでした。しかし今年は初めてやりきる自信がみなぎっています。我慢ではなく新しい自分に出会えることにワクワクしています。先日の勉強会で目にした次の文章が、知識として知っているだけの文字芸者だった私を変えました。

 

「人を相手にせず天を相手にせよ。天を相手にして己を尽し、人を咎めず我が誠の足らざるを尋ぬべし」

 

人に頭を下げて礼をするにしても、これは天に対する務めとして礼をするのである。されば先方の人が返礼せずとも、それは問題ではない。当方はただその道を尽くして、まだ我が誠意が不足ではなきか、我が務めが不完全ではなきかと尋ねよと言っておられるのである。

 さても人々が皆なかような心持になれば、人の世に物言い、喧嘩、軋轢、中傷等ありとあらゆる浅ましい所業が起こるはずもなく、政治界、実業界、教育界といわず、総てが明るく美しくまた住みよくなるであろう 

                                              西郷南洲

 

 従業員の皆様とは血がつながっているわけでもなく、決してこちらから切ることをしなくとも、あちらからぷっつり切ろうと思えば切れる縁。粘り強くあきらめず辞めずにいてくれるからこそ、一緒に魂磨きができます。

 

 遅々として分かり合えぬと悩ましい限りではありますが、己の誠の足らざるを知らしめる如く、練磨せよとの神からの遣いではなかろうか・・・そう感じると摩訶不思議なもので、もはや会社にいてくれるだけで沸々と感謝の念が沸き起こってきます。

 

 今までは頭では理解していましたが、感じることはできませんでした。経営者にとって経営は良心を覚醒する現場、正しく誠の発達課題に取り組む道場です。道徳は縛られるものではなく、喜び幸せにするものだと初めて感じ入ることができました。

 

 天を敬い自分をまずは修めて、人を安らかにしたいと思います。今年の年末、人が変わったような私に出会えることを皆さん楽しみにしていてください。私も楽しみです!!

2014.01.01

祈り

新年明けましておめでとうございます。昨年中は格別のお引き立てに賜り、厚く御礼申し上げます。本年もご愛顧の程、何卒よろしくお願い申し上げます。

 

 お陰様でIdoは、昨年の4月8日をもちまして、めでたく10年という一つの節を超えることができました。我儘三昧、強烈な自我の塊である私のような人間が、この節を何とか超えることができたことは奇跡であり、周囲の皆様、とりわけ、Idoを支えてくれている従業員の皆様、お客様、そして多くの同志の皆様からのお導きの賜物です。

 

 人は人によって磨かれる・・・その言葉の如く、多くの魂と深く触れ合うことにより、私自身の魂を磨いて頂いているように感じます。10年前の私は、自分自身のことを「私はこんなもの・・・」そう思って生きていました。しかし、人生はどういう教えに出会うかにより大きく変わります。誠の言霊は人を奮起させる・・・自分の中に本来眠っていた祈りにも似た感情が発露した途端、日常生活が誠の発展課題に取り組む道場に変わりました。以後一貫して試練の連続の毎日です。

 

 ずっと以前に教えて頂いた、ニューヨークの病院の壁に書き残された詩の一節が脳裏に浮かびました。

 

 大きなことを成しとげるために 

 力を与えてほしいと神に求めたのに

 謙遜を学ぶようにと 弱さを授かった

 より偉大なことができるようにと 健康を求めたのに

 よりよきことができるようにと 病弱を与えられた

 幸せになろうとして 富みを求めたのに

 賢明であるようにと  貧困を授かった

 世の中の人々の賞賛を得ようとして 成功を求めたのに

 得意にならないようにと 失敗を授かった

 人生を享楽しようとあらゆるものを求めたのに

 あらゆることを喜べるようにと いのちを授かった

 求めたものは一つとして与えられなかったが 

 願いはすべて聞き届けられた

 神の意に添わぬ者であるにもかかわらず

 心の中で言い表せないものは すべて叶えられた

 私はあらゆる人の中で もっとも豊かに祝福されていたのだ

 

 10年を経て今思うことは、私はまさに神に祝福されている・・・人生に起こる事象はすべて学びである。新しい年の幕開けに、様々な人生を体験できる、すでに与えられている「いのち」に心から感謝し、真摯に生きることにより、報いて行きたいと思います。

2013.01.01

生かされて生きる

新年明けましておめでとうございます。昨年中は格別のお引き立てに賜り、厚く御礼申し上げます。本年もご愛顧の程、何卒よろしくお願い申し上げます。

 

 私共Idoは、今年10周年を迎えます。開業したばかりで・・・と言い訳していたことを、つい昨日のように思い出します。まさに光陰矢のごとし、月日は驚くべき速さで過ぎ去ります。職業会計人として、10年前の初心を思い起こし、自身の歩みは道を外れていないか、胸に手を当て、静かに目を閉じてみました。

 

 まず、この仕事を始めてずっと思い続けていること・・・それは、会計事務所の常識は他の業界の非常識であるということ。お互い先生と呼び合っている。税法会計の知識がある人間が偉いと思っている。お客様という発想をしている人が少なく先生商売。未来会計より過去会計が大切。経営者のみ給料が高く、従業員の給料は一般的に他の業界の平均より低い・・・などなど。開業当初は、そんな非常識な税理士のおかげで、うちの事務所をお客様が選んで下さる、そんな傲慢な考えを当たり前のように持っていました。

 

 しかし、世の中を見渡せば、中小企業は苦しみ、喘いでいます。助けを求める経営者、少しの気づきで激変する会社があふれています。しかし、当たり前ですが、うちの事務所だけでは非力です。税理士全体が底上げし、成長しないと社会の役に立たない・・・税理士業界全体が、自分たちの使命に覚醒し、その使命を全うしなければ、税理士の存在意義自体、世間から問われています。今一度、税理士一人一人が、本当にお客様のお役にたち、信頼関係を築けているか背筋を正す必要があるのではないでしょうか。会計事務所業界の改革など大それたことはできませんが、できることから始めよう!!そう決意したのが10年前の初心です。

 

 苦節10年、挫折や悩みを上げればきりがありません。道は外れていないと断言できますが、歩みの遅さについては、筆舌に尽くしがたいものがあります。10年経った今、はっきりわかったことがあります。事務所の歩みが遅いのは、私の志が事務所に伝わっていないから・・・私に従業員を駆り立てる情熱が足りなかったから・・・そして感謝が足りなかったから・・・自らの事務所を駆り立てることなくして、お客様を駆り立てることができるでしょうか。

 

 10年の節目に、たくさんの出愛により、生かされて生きていることを改めて実感し、感謝でいっぱいです。今年も至誠を貫き、誠心誠意、皆様のお役にたてるよう頑張る所存です。初志貫徹、ご指導ご鞭撻の程よろしくお願いいたします。

2012.10.01

世の中のためにという私心

 Idoは来年の4月で丸10年を迎えます。お金もお客様も何もないゼロからのスタートでした。しなければならないことは何もなく、毎日やりたいことをしていました。自分なりの将来の夢は明確に持っていましたが、志や社会へのお役立ちなど、潜在的に心の中に持っていただけで、そこに対峙することはなく、目の前のお客様に誠心誠意尽くすこと、一日一日、生きるために仕事をしていました。

 

 先日、創業当初からのお客様と食事をした際、「教祖様みたいやな。何がしたいの?無理してないか?」と素直に聞かれました。一瞬、私は答えに詰まりました。たまには、サーフィンに行きたい、もっともっと犬と遊びたい、そんな気持ちが全くないと言えば嘘になります。もう一度人生をやり直すチャンスがあったとしたら、どんな人生を選択するだろう?そのお客様との対話を通じて得られた私の答えは、「欲張りだから、雑念は払えないけど、もう一度生まれ変わっても、同じ挑戦をする!!」お陰様で自分の心を整理することができました。

 

 9年経ってたどり着いた今の私の夢は、会計を通じて社会の発展に貢献する、そんな燃えるような思いを持った集団をつくること。個の主体性から共働主体へ・・・

 

 今はわずか13人の小集団ですが、試行錯誤を繰り返しながらも、創業当初から消えなかった夢に、私一人でなく、Idoの仲間と共に、残りの人生をかけて挑戦し続けたいと思います。

 

 あるお客様の社員大会でお聞きした言葉が、私の血潮を奮い立たせてくれました。「うちの会社はすごい人を取らなくていいのです。普通の子がうちの会社にきてすごい人になるのです。」人生について真剣に考えたこともなかった創業当初の私が、仕事を通じて磨かれてきたように、自分も知らない他人も知らない潜在的な力を、Idoに来て発掘することができたら・・・

 

 Idoはそんな良心を覚醒する道場でありたいと思います。しかし、今のIdoは、スタッフの献身的な働きと良心に支えられているのが現実です。その現状を当たり前と思わず、打破するためにも、リーダーとして、強い財務体質を創り、スタッフが日々に追われることなく、安心して未来を見つめる環境を整えることが必須です。世の中のためにという大義が私心とならないよう、日々の改善を積み重ねていきたいと思います。

2012.08.25

事の外に立つ

大きな目標を掲げると、大きな課題が目の前にそびえたちます。その壁を乗り越えようと、必死で知恵を絞り出しますが、問題は山積し、雪崩のようにおしよせます。圧倒的な現実との乖離に、正直目を覆いたくなり、何から手をつけていいかわからない・・・

 事の真髄は何であるか?焦ることなく、じっくりと腰を据えて、不退転の覚悟で、抜本的な改革に踏み切る必要があります。

 

 しかし実際は、多くの人が近視眼におちいり、当面の問題にしか目を向けられないのはなぜでしょうか。資金がないのでそこまで手が回らない・・・余剰人員はいない、皆忙しい・・・理想はわかるが目の前のお客様を増やさないと売上は伸びない・・・皆、口々に言います。

 

 小手先の対応で、その場を凌いだところで、抜本的な改善にならないことは明白です。緊急性が高く、重要性が低い当面の問題を解決しようとして、それ以外の事を先送りにし、放置しているのです。一歩引いて静観すると、まさに中小企業病。いつまでも中小企業から抜け出すことができない決定的な要因です。

 

幕末の財政改革の天才、山田方谷に相談したら、何と答えてくれるでしょうか。

「治国の大方針をかえりみなければ理財の道も又ふさがれてしまう。眼先の空腹を満たそうとして利にあがいても一時凌ぎしか出来ない事をこころしていただきたい。政治経済の上に立つ者は、空腹という事の内に屈せずに、事の外からながめ、大局的立場から対策、方針を確立してゆかなければならない。~中略~ 卵が先か、鶏が先かの循環論からは何も生まれてはこない。世の治世者は応急処置に走り回るのではなく、事の外に立って、抜本的な方針をまずととのえ戦略を実行するのが使命である」         

 ~炎の陽明学者、山田方谷伝より~

 

 ふと自分自身に問いかけます。その目標の源泉は何たるか?“やらなければならない”という義務感、使命感に留まっていないか?まずは、その義務感、使命感をも超越すること。自分の代で成し遂げられなくとも、将来世代に向けて一役をにないたい!!そんなワクワクする夢を志に、事の内に屈せず、事の外に立ち、誠の道を歩んでいきたいと思います。

2012.07.20

無限の実り

大不況が特別でなくなり、平易に利益を生むことが可能だった頃の前向きな気持ちをきれいさっぱり忘れてしまいそうな今、改めて、会計の本当の必要性が問われています。

 あらゆるものが、完全に供給過多となった経済は、荒れ狂う大海です。その荒波を、自力で渡って行くことが困難で、溺れかけている中小企業を目の前に、何ら抜本的な改善策も提示できず、他人事、もしくは、励ますことが関の山であり、十年一日の如く、形式的な会計用語を並べ立てている、私たち多くの職業会計人。

  

会計事務所の誠の価値は、徴税目的以外に何があるのか・・・

    会計は儲ける力のない中小企業にとっては無力なのか・・・

 

 JAL会長、稲盛氏は、「経営者にとって“会計能力”を高めることは必須の課題であり、経営者の持つ会計能力の有無が経営力の差となり、企業力の格差をつくる」とまで言われています。まさしく、会計がわからんで経営ができるか!

 経営者である以上、数字が苦手であるならば、今すぐ誰にも負けない努力をし、苦手意識を克服し、手を打たねばなりません。そして、理念を数値化し、会計を最大のコミュニケーションツールとする、次のステージに自身の会社を引き上げることが、早急の課題であることを自覚しなくてはなりません。

 従業員の自主性を育み、一致団結して、イノベーションに取り組むことで、一人一人の生産性を向上することができたなら、企業の可能性は無尽蔵です。

 

 今、私たち職業会計人に課せられた使命は、もともと利益を生み出す力を持った企業が操る、後追いの制度会計から、会計そのものが人間性を育み、生産性を向上させ、その必然として利益を産み出す、“幸福を創造する会計”にイノベーションすること。多くの中小企業と関わる、私たち職業会計人自身が、自らイノベーションし、社会から再び必要とされることこそ、疲弊した社会への最大のお役立ちとなることは言うまでもありません。

 

 先日の勉強会で聞いた、二宮尊徳の考え方が頭をよぎりました。“無限の貧困、有限の実り”という妄想から、“有限の貧困、無限の実り”へ革新すること。人は困難にぶち当たると、問題は無限にあり、成果は限りがあると考えます。しかし、徹底的に突き詰めれば、あくまで問題点は有限であり、その問題を克服することにより得られる実りこそ無限大であるということ。一つ一つ試練を克服し、無限の実りを産みだす希望を胸に、幸福を創造する会計を育みたいと思います。

2012.06.10

節を越える

まず初めに、皆さんにお詫びと感謝の言葉を述べさせて下さい。前回の事務所通信を読んでいただいた方から、たくさんの叱咤激励を頂きました。長い間お会いしていなかった方が事務所を訪ねて下さったり、中には、ミスチルのコンサートに連れて行って下さったり・・・様々な形で渇を入れて下さいました。感謝の気持ちで一杯です。本当にありがとうございました。

 

 私は23年間、毎日毎日、全身全霊で、中小企業の経営者と向き合ってきました。どうすれば、その会社がよくなるか・・・その一心です。

 

 20年を超える草の根活動を通じて実感した課題がたくさんあります。その課題を克服するには、日々、誠実に向き合うだけでなく、租税制度の在り方も含め、新しい会計の可能性を切り拓くことが必須であり、それこそが、私の使命であると強く感じます。

 

 理想主義と言われても、現実を見よと言われても、“世の中が平和で豊かでありますように・・・世の中を良くしたい”その願いは、人としての根源であり、命の叫びではないでしょうか。課題に猪突猛進するあまり、たがが完全に外れてしまいました。

 

 経営者にとって、経営は良心を覚醒する現場です。志を全うするためにも、誠の発展課題に正面から向き合い、仕事を通して人格を高め続けます。そして必ずや、社会を影響するくらいの良心を育みたいと思います。

 

 昔読んだ致知のある文章に大きな勇気をもらいました。「誰の人生にも節がある。小節、中節、大節、人は皆、その人生行路で様々な節に出会う。それらの節を一つ一つ乗り越えることで、人はさらにたくましさを加え、成長してゆく。節を乗り越えられずに道半ばで倒れ、命を全うできない人も少なくない」

 

 何のために経営するのか?真摯に目的を問いただし、気持ちを切り替え、一つの節を越えたいと思います。

2012.05.07

心の庭

 ふと気がつくと、私の心の庭は枯れ果てて、雑草も育たないくらい荒廃していました。宇宙のエネルギーが様々な事象を通して、警鐘を鳴らしてくれました。

 

 気持ちを切り替え、自制していた緑豊かな清々しい庭に、今までの何倍もの努力をして戻してゆかなければなりません。ここまで荒廃するのに、さほど時間はかかりませんでした。何がきっかけだったのか・・・今考えても、はっきり思い出せないくらい、些細なことの積み重ねでした。

 

 只一つ、明白なことは、心の庭をきれいにするには、弛まぬ努力の積み重ねが必要ですが、邪悪や怠惰に流れることは、砂の城のように容易に崩れること。神様は油断や傲慢を見逃しません。

 

 私は4月の下旬、生まれて初めて体調を崩し救急車で運ばれました。まさに、不純な思考が招いた身体の荒廃です。わがままと稚心が、周囲への感謝の気持ちに完全に勝っていました。目の前の問題に行き詰まり、穏やかさを喪失し、つまりは、志を見失っていました。

 

「嵐に揺れ動く魂よ。どこでどのような状況にあっても、これだけは知っておきなさい。人生という大海では幸運の島々がほほえみ、陽光の降りそそぐ理想の岸辺があなたの到着を待っています。思いの舵をしっかりと握るのです。あなたの魂の帆船では、船長が眠りこけてしまい働いていません。彼を起こしなさい。自制は強さであり、正しい思いは熟練した技能、そして穏やかさは力なのです。心に向かって命じなさい。穏やかであれ!と」

                                              ~ジェームスアレン~

 

 何度も何度もこの言葉を呪文のように唱えつつ、穏やかに思いを巡らすと、心配してくれている優しい人の顔が浮かびます。スタッフやお客様、皆様に生かされて仕事ができている・・・心からそう思えます。もう一度、一から心の庭を手入れし、不純な思いを取り払い、純粋な思いの種を植えて、志を育んでいこうと思います

2012.04.01

針ほどの事を棒ほどに感謝する

私自身、お天道様に誓って、両親を大切にしようと思ったのはいつ頃からでしょうか。自分のことは節制しても、無条件に何かしてあげたい・・・はっきりとは覚えていませんが、大人になって、仕事を頑張るようになってからだと記憶しております。

 

「親孝行もできない人間は、お客様に尽くすことは出来ない。親孝行を通じて人に感謝されるということは、自分の喜び。人に尽くすということは、実は己の喜びであることを知る」と言われているように、親孝行は感謝する気持ちの原点です。

 

 人は学校を卒業するまでは、親や学校の先生が、一生懸命いろんなことを教えます。学校を卒業した後は、就職した会社で、仕事を通じて勉強します。会社では、勉強だけでなく、生き方など、様々なことを学びます。人間、一生勉強、学ぶことを忘れたら終わりです。

 

  経営者は、会社で学ぶことについて、大切な役割を担っています。どんな会社に就職するかによって、その人の将来は大きく変わります。仕事に対する考え方が、人生を左右すると言っても過言ではありません。

 

 子供の頃、親の顔が見てみたい!とよく言われますが、大人になったら、社長の顔が見てみたい!ではないでしょうか。

 

 様々な違った環境で育った人間が、縁あって会社に集い、一緒に共同で仕事をします。考え方が一致しないことがあって当然です。そんな時、どこまで歩み寄れるか・・・人間、いくつになっても、素直さが一番大切です。そんな信頼関係を構築できるよう、利他の心、素直な心を、経営者自身も一緒に、一生学び続ける風土が大切です。

 

 初めての経験ですが、来週、新卒社員のお母さんに挨拶することになっています。その子が社会のお役にたつ人間に成長できるよう、襟を正す気持ちで一杯です。

 

 ずっと昔、小学校の先生から、すぐに不満をあらわにする、こらえ性のない幼稚な私に、「針ほどの事を棒ほどに感謝しなさい」とよく言われました。大人になった今、若いスタッフに、人のお役にたち感謝される喜び、自らが感謝する幸せを実感してもらえるよう、力を尽くしたいと思います。まさに感謝に勝る能力なし、感謝の心を育んでいきます。

2012.03.01

良心のリレー

先日、お客様とお話していて驚いたことがありました。そのお客様は、特別養護老人ホームの設計のお仕事を多く手掛けられています。近頃では、生活保護者の方を多く入居させるほうが、入居率が安定するとのこと。リストラされたり、給料が減額されたりする可能性がなく、収入が途切れることがないからだそうです。お話を聞いて愕然としました。まさに世も末です。

 

 また、有名大学を卒業する女子に聞いた、結婚相手に望む理想の職業ナンバーワンは、このところずっと公務員、そして2位が技術職だそうです。会社が傾いても、手に職があればつぶしがきくからとのこと。

 

 私が卒業した約20年前とは全く様変わりです。右肩上がりが当たり前、高度成長時代の終身雇用が崩壊し、会社を全く信用しない世代が社会人となります。多くの若者が、夢、志とはかけ離れた思想を持っています。 

 

 では彼らにどのように希望をもってもらうのか。それは私たち大人が、人を信頼することを身をもって教えること。人間は誰しも無限の可能性を持っている。一人一人に固有の用があります。きっかけ一つで燃えるような情熱をもって、目的に向かって死ぬほど努力できるはず。せっかく生まれてきた命、それぞれの命を、持てる力の限り輝かせてほしい。会社はその命を輝かせる場、そんなステージでありたいと思います。

 

  今私たち経営者がなすべき最も重要なことは、世代から世代へ良心をつなぎ、若者と共に、希望と勇気を育むこと。良心のリレーを空念仏で終わらせず、必ずや、この無明の世界から、光り輝く世界へ羽ばたきたいと思います。

2012.02.01

推譲経済

 景気低迷が当たり前となって久しく、モノの値段があってないような時代が続いています。だれもが1円でも安く購入することに情熱を燃やし、相手の利益を考えるものはいません。

 同業他社を出し抜き、自分の生業になりさえすればいい・・・本来、競争相手の同業他社は、自社の成長を促してくれる貴重な存在であるはずです。しかし、そこには、発展に必要不可欠な正当な競争とは異質の、過当競争が繰り広げられています。

 皆、私益を奪い合うことに喜びを見いだせず、閉塞感に喘いでいます。いつから相手の利益を考えないようになってしまったのでしょうか。当然ですが、経済は相互依存、市場の成長と適正な利潤なくして発展しません。

 

 商売の原点に立ち返れば、仕事とは尽くすこと。小さなことにどれだけ真心を尽くせるか。その見返りとして感謝を頂く。自分も相手も第三者も皆幸せです

 今こそ、自己の利益のみを追い求めるのではなく、取引先に対しても、さらには第三者に対しても利益をもたらす、三方善の原点に立ち返るべきです。

 

 

 先日ある勉強会で、推譲経済という言葉を初めて耳にしました。二宮尊徳の「至誠・勤労・分土・推譲」の根本思想に基づいた経済

 その言葉のもつ深遠なる思想を、現在の私の持つ稚拙な語彙では表現することはできません。しかし、推譲経済こそ、現在の経済的乱世を救う唯一無二のものではないか!

小脳に突き上げるような、人間を衝き動かす強いエネルギーを感じました。

 

 直感ですが、一人一人の人間が、誠を尽くして真摯に働き、出ずるを制し、入るを図り、少しずつ周囲のために譲るだけで、世の中は変わるはずです

 積小為大、小さな三方善の積み重ねが山を動かす。推譲経済が万人の共通認識となることが、私の職業会計人としての使命のような気がしてなりません。新たな気付きを、気付きで終わらせず、共に実践することをここに誓います。

2012.01.01

心田開発

新年明けましておめでとうございます。昨年中は格別のお引き立てに賜り、厚く御礼申し上げます。本年もご愛顧の程、何卒よろしくお願い申し上げます。

 

 昨年12月26日、無事、新事務所に引っ越すことができました。悩み多き一年でしたが、ふと、神のお告げのように、何か心にひらめくものがあり、数日間で引越しを決定しました。

繁忙期の引越しは想像以上に大変な作業でしたが、終わってみると、事務所全体が浄化され、美しい気が流れています。皆様、是非、一度お立ち寄り下さい。

 

 年の瀬に、二宮尊徳の勉強会に出席しました。以前から感銘を受けており、通り一遍の知識は持ち合わせていましたが、知識を超えた感動的な学びを得ることができました。

 溢れるほどの気づきがありましたが、一番勇気をもらったことは、600以上の村の財政を立て直した尊徳でしたが、初めの一村の立て直しに15年かかったということ。

 大名に10年で立て直す約束をしたのに、7年間全く成果が上がらず、悩み苦しみ、何と21日間失踪したそうです。その失踪の際に、天から二つの気付きを授かったとのこと。

 その二つの気付きとは・・・まるで私自身に言われているようでした。

 

 一つ目は、尊徳自身が心のどこかで農民を否定していた、つまり、認めていなかった。自分が認めていない相手と通じ合えるわけがありません。皆一生懸命生きている、皆にもそれぞれの都合があるということ。 

 二つ目は、大変な思いで改革する尊徳自身が主役で、その他大勢の農民は脇役でしかなかった。大変なのは尊徳だけではない、農民一人一人が主役であること。 

この二つを、心から理解したその後の起死回生は、今更言うまでもありません。

 

今年は、尊徳先生のこの気付きを、机上の空論で終わらせることなく、実践することを誓います。目に見えない心の心田を耕し続ける・・・すなわち至誠を貫くこと

 薪を背負って本を読む銅像から発せられた、尊徳先生のメッセージ、「本を読んでいても働くことを忘れてはいけない」を肝に銘じたいと思います。 

2011.12.01

ただ一燈を頼め

先日、開業当初からの親しいお客様から、大変ショックな一言を言われました。

 「中尾さんは変わってしまった。大きな会社とお付き合いするようになって、うちみたいな小さな会社を、昔みたいに見てくれなくなった。」

 まさに青天のへきれきでした。

 

 神に誓って、小規模の会社をないがしろにしていることはありません。 会社を設立したばかりの人、やっと本気で経営しようと決心した方など、不思議なことに、いろんな方々からの御紹介で、中尾さんとやれば、本気で経営に取り組めるのでは・・・希望に胸をふくらませ、集まってこられます。

 

しかし、古いお客様に、そのような印象を与えたことは紛れもない事実です。 当然、規模の大きな会社様とも、たくさんお付き合いさせていただくようになりましたが、共通していることは只一つ。

それぞれの志を持ち、何としても会社を良くしようと本気で取り組もうとしている方。 志があるかないか、規模の大小では決してありません。

 

 ただ、そう言われて、一つだけ思い当たる節がありました。 私自身、経営の厳しさを痛感したため、経営に向き合う姿勢について、以前より確実に厳しくなり、妥協を許さなくなりました。

 しかし、経営上、どんなに必死で努力しても、結果が出ない時は確実にあります。 そんな苦しい時、本当にお客様の心の痛みを理解していたか・・・答えはNOです。

 確実に私は傲慢でした。

 

 至誠を貫くには、強さと優しさの両面で、自分の力不足を痛感しました。

 "一燈を提げて暗夜を行く。暗夜を憂うことなかれ。ただ一燈を頼め"

 言志四録 、佐藤一斉先生の言葉が心に浮かびました。

 提灯を提げて暗い夜道を行く。暗くて先が見えなくとも、ただその一つの灯り(自分の信念)を信じろという意味です。

 Idoの目的は万人立志、現状、まったく先は見えませんが、自分の信念を信じて迷わず進むしかありません。

 お客様のためにという自己満足でなく、お客様の視点にたてるよう心がけたいと思います。

2011.11.11

光のもとへ

 早いもので、今年も残すところ2か月、皆さんは、この1年でどんな成果を得ることができたでしょうか? 私にとっては、成果というより、事業の意義を問いなおす、大きな課題と向き合うことができる年でした。

 

 考えても、考えても、これだ!という答えが見つからない・・・しかし、どうしてもその答えを見つけなければ、力がみなぎらない、次のステージに上がれない。

 矛盾というか、ジレンマというか、まるで出口の見えないトンネルの中を、とにかく全力で走っている・・・ ふと気がつけば、そんな状況がずっと続いていました。

 

 目先の仕事に全力で取り組み、敢えてその問題を見ないようにしてみる・・・しかし、結局、その問題に行き着くことになる。

 世の中が大きく変化している。


現状の延長線上に自社の未来はあるのか?漠たる不安にふたをしていていいのか?今のままでは燃えられない・・・

 

 

 もっと燃えられる明確なお役立ちが欲しい。社会から必要とされ続けるには、その漠たる不安を問い続け、自社なりの光を見つけること・・・それが永続的に発展していける唯一の方法ではないでしょうか。

 

 すでに起こってしまった未来から逃げることはできません。多くの会社が、潜在的に、上記のような課題に直面しています。 なぜなら、社会の環境が抜本的に変化し、産業構造の土台が激変したからです。 それにより、自社の、社会に対するお役立ちに、ずれが生じる可能性を、どれだけの経営者が自覚しているでしょうか?

 自社の事業に閉塞感を感じているにも関わらず、懸命に目の前の仕事をこなしている・・・まさにゆでがえる。

 

 ステージが上がった会社は、イノベーションが苦にならない組織風土になっています。現状、業績が良いからといって、いつまでも過去の栄光に浸っていると、イノベーションの勘所を見失ってしまうことになります。新しい年にむけて、事業の意義・目的を新たに問い直し、社会に対するお役立ちがずれていないか・・・残り2カ月で、もう一度熟考し、自社の光を必ず見つけたいと思います。

2011.10.01

あなたは水を飲みたいですか?

西洋のことわざに次のようなものがあります。

 

「馬を水飲み場へ連れていくことはできるが飲ませることはできない」

~You can lead horses to water but you can't make him drink

 

 私の志は、世の中が、志をもった経営者ばかりになることです。経営者が志のもと、経営すれば、必ず会社はよくなります。経営者が幸せになり、その会社の従業員が幸せになり、その従業員の家族が幸せになります。そして、その会社の関係会社が幸せになり、その関係会社の従業員が幸せになれば、社会が幸せになります。

 

 22年間、中小・中堅企業の経営者と全身全霊をかけて日々向き合ってきました。そのうち、8年半は、会計事務所経営という、ある意味、草の根活動を通じて、痛感したことがあります。 経営者が従業員の幸せを心から思い、社会貢献を考えなければ、会社も良くならないし、社会は良くならない。社会を良くするには、良い経営者が社会にたくさんあふれること

 

 経営者の重要な資質として、人格、克己心、戦略、会計などがあります。道と術の両方が必要であり、理念と会計の両輪です。人格的に優れているだけでは、社会の変化についていけません。会社がステージを上げ、成長するには、ただ黙々と頑張るだけでなく、イノベーションが絶対必要であることを目の当たりに見てきました。

 

 しかし、その道は簡単ではないことも見てきました。そこで、会計は一つのイノベーションになりうる可能性が高いことを確信しました。特に、中小企業の経営者は、理念と会計の両輪、皆、知識として知っていますが、知行同一ではありません。

 

 結局、現状さほど困っておらず、程々に裕福なら、これでいいと思っているのです。「足るを知る」を自分の都合のよいように、曲解していると見受けられる経営者も少なくありません。水を飲みたくない馬を、水飲み場に連れて行っても、無理矢理飲ませることはできません。問題はもっと深いところにあり、経営者自身の克己心を呼びさます必要があります。

 

 永続的発展は経営者の使命、経営する以上、ほどほどでいいは許されません。私にできることは、会計を通じて、経営者の克己心と使命を呼びさますことです。会計はその為の有効な手段です。

 

 志を全うするために、会計の可能性を追求します。規模の大小を問わず、会社がワクワクしながら取り組める、世の中を良くする会計を確立します。有言実行、皆さんに宣言し、志を全うしたいと思います。

2011.09.01

甘えの権化

悪しき平等が、世の中に蔓延し始めて、どれくらい経ったでしょうか。どうやっても歯が立たない人間がいる。これを素直に認めてこそ、相手に対する尊敬の念が生じます。

言いかえれば、大人になるまで、この経験をしないまま成長したら、尊敬するという回路を持たない人間ができあがります。今、世の中で起きている問題の多くは、まさしく、柔らかな小善に包まれた平等思想に、起因しているのではないでしょうか。

 

できないということに直面して味わう、精神的な厳しさ。その厳しさに向き合うことができず、逃げる選択をする人が多くなっていると聞きます。実際の人生では、簡単にリセットなどできるはずがありません。リセット癖は、長い間、「甘え」という病魔として、身体にはびこることになります。

 

あまりにも当たり前ですが、最初からできる仕事など、この世には存在しません。その精神的な厳しさに向き合い、乗り越えてこそ、強くなり、道を切り拓くことができます。

乗り越える秘訣はただ一つ。教えてくれない、マニュアルがない、指示されていない・・・できない理由を人のせいにする、己の悪しき習慣を、直ちに改めること。

そして、自分のできないことを、いとも簡単にやってのける先輩を、掛け値なしで心から尊敬し、教えを乞うことができる環境に、心から感謝すること。

 

今、ひとかどの人間として、それなりに生きている人物は、10代、20代のころに、経済的または精神的に、決定的にハングリーな機会に出会い、歯を食いしばって乗り越えた人。他責思考という、ぬるま湯に一度つかってしまうと、そのぬるま湯から出て、厳しい環境で働くのは至難の業です。残念ながら、ぬるま湯の環境が、一生涯保障される世の中でもありません。

 

今の若い人は・・・と言ったらそれまでです。

私たち経営者がやるべき大切な仕事は、初めて厳しさに触れる、尊い将来の担い手に対し、厳しくとも温かい手を差し伸べ、鼓舞奮闘しながらも、一緒に階段を上がっていくこと。これこそ、甘えの権化を根絶し、輝かしい未来を共に育む、世直しの第一歩ではないでしょうか。

人間は皆、神の子。希望を胸に抱き、全力で取り組んでいきたいと思います。

2011.08.01

魂入れ

 私の生まれはひのえ午の年、そして午の日。陰陽五行の火を、通常よりたくさん抱き、生まれてきたそうです。

「火が強過ぎるから、ちゃんと育てないと間違えた人生を歩む・・・」修行僧だった曾祖母が心配していたそうです。その言葉通り、現在まで、こらえ性がない自分の性分とずっと対峙してきました。

 

 しかし、何のために、たくさんの火を持って生まれてきたのか、最近やっとわかるようになりました。まさに開眼したような感覚です。私の仕事において、つくづく大切であると思うこと・・・それはお客様に火をつけること。つまり、魂入れをすること

 

 まず性根を据えて、誰にも負けない努力で自分の仕事と向き合ってもらうこと。そして自分の可能性は無限であることを信じ、希望に満ちあふれ、社員の幸せを心から祈ってもらうこと。

 しかし、この気持ちをずっと維持していただくことは大変難しいことです。余程の情熱がなければ、人に魂入れをすることなど容易ではありません。

 

 経営者の方にも様々な方がおられます。守りに入り、慢心し、創造を忘れてしまった方。自分との闘いに疲れ、自暴自棄になっておられる方。

 経営者は志に燃える半面、孤独です。誠実であればあるほど、世の不条理を流すことができず、常に悩み深く、苦しみが絶えません。経営は諸行無常、変化し続けなければ、企業の栄枯盛衰は必須です。

 

 私が神様から授かった火のエネルギーは、周囲の皆さんを勇気づけ、立志していただくためにつかうべきもの。利己心により、周囲を焼き尽くすためのものでは決してありません。

 

 経営が成功するか否かは考え方一つ、ほんのわずか紙一重の差です。もう一歩、踏ん張っていただけるよう、必死で生きている経営者の心に、厳しくも温かい祈りを捧げ、明るい灯をともし続けたい・・・真摯に思います。

 

 知識をおしつけるだけでなく、まずは、身近な人から、右足一歩、左足一歩と、持てる力の限り、魂入れができるよう、努力を積み重ねていきたいと思います

2011.07.01

内からわきでるもの

 先月、国税庁の調査結果が発表されました。平成22年度の申告法人、261万社の72.8%が欠損法人だったそうです。欠損法人とは、赤字又は利益がゼロの会社をいいます。

   心から恐ろしいと思うのは、このような数字を耳にしても、さほど驚かなくなっている世情です。・・・真剣に考えてみれば、どれほど不可思議な状況かわかるはずです。4社に3社が赤字又は利益がゼロ

 

   ちなみに、過去の数字を参考までに調べてみました。昭和26年は、16.5%、昭和31年は、23.9%、昭和41年は、37.6%、昭和51年は、46.3%、昭和61年は、54.3%、

平成8年は、64.7%、平成13年は、68.3%、平成21年は、71.5%・・・過去最悪を更新し続けています。この結果を前にして、私たち税理士は大いに反省する必要しなければなりません。

 

   税理士の使命は、税理士法第1条に明記されているように、納税義務の適正な実現を図ること。税の専門家という名のもと、節税という金科玉条を振りかざし、多くの税理士が、欠損法人の量産に手を貸していたのではないでしょうか

   税理士がもっと、思想を深淵に持ち、社会にとって、より高次の全体最適を考えて使命を全うしていたなら、今のような世の中は少なくとも避けられたと思います。

 

  松下幸之助さんも仰っていたように、赤字は社会悪です。企業が利益を得られないのは、お客様からの支持や評価を得られていないということ赤字で漫然としていていいのか!私たちはもっと、真摯に訴えかけねばなりません。

 

   風呂屋の番台に座り続けているに等しい経営者に渇を入れることこそ、私たち職業会計人の仕事だと思います。社会で生き残る企業は、世の中のお役に立っているということ。


  まずは、自社の事業がどのようにすれば、社会のお役に立つのかを考え抜くことが大切だと思います。その第1歩が黒字決算。私たち税理士が自分のお客様が赤字であることを心から反省すること。

 

 

   国の制度に護られ、うつつをぬかしている職業会計人は、今こそ魂を持って、経営者と共に、切磋琢磨し、汗を流すべきではないでしょうか。そうすればきっと、世の中は少しでも良くなるはずです。微力であれ、私はその一添えになりたいと思います。

                            (ビジネス会計人クラブ研修会参照)

2011.06.01

信じ続ける

 開業して丸8年、しみじみ実感することがあります。それは人との出会いと別れです。

 

  お客様、従業員を問わず、この人とはずっと一緒に歩んで行くだろう・・・心から信頼していた人と、悲しいことですが、道を分かつことが少なからず、ありました。その時は決して克服することはできないであろう・・・それくらい、心の比重の多くを占めるものでした。

  しかし、不思議なことですが、時を経て省みて、結果的に道を分かつこととなった出会いさえ、人生にとって必然だったと、懐かしい教訓になっています。

 

  決して、道を分かつことに慣れてはいけない、反省を忘れてはいけませんが、新たなご縁を築くための、乗り越えるべき課題ではないかと思います。

  縁がある、縁がない、その一言で片づけられる問題ではありませんが、何らかの運命的な結びつきを感じずにはいられません。

 

  出会えたことに心から感謝すること。神様から頂いたご縁を、生かすも殺すも自分の心がけ次第です

  裏切られたことに囚われ、人を信じることが怖くなり、無意識のうちに、腹八分目で人と付き合う・・・

そんな人生だけは送りたくない!心からそう思います。差し障りのない人間関係からは何も生まれません

 

  もし耐えがたい心のすれ違いにあったなら、まず自己を省みること。自分でも気づかないうちに、人の心を踏みにじる行動をとっていないか。自分の都合を最優先にしていないか。

  花が咲くには種をまいて育てて下さった人が必ずいます。私自身、ここまで歩んでくるまで、お世話をして下さった人の恩を忘れず、心から感謝しているとは決して言えない状況です。大切な人と道を分かつことは、その御恩を思い出させて下さる、神様からの贈り物だと思います

 

  他人を疑わず、自分を疑わず信じること。そこに信頼の泉が湧いているのではないでしょうか。私は何度裏切られても、真っさらで人を信じ続けます

2011.05.01

積善の家

 感謝が足りない・・・自分の中の師が、いつもささやきます。まだまだ、人の欠点が先に立ちます。さすがに、悪口や愚痴は口に出さなくなりましたが、心の中に邪心が芽生え、瞬時に蔓延します。


 

 

"汚いものが見えるうちは、己がまだまだ同類であると、お悟りなさい"頭ではしっかり理解していますが、ふと魔がさします。仕事上、人と接する場合、欠点や短所を暴くのではなく、その人の魂の輝きを積極的に見出せるようになりたいと思います。

 

自分の部下が、信じられない失敗をした時も、一糸も感情を乱さず、感謝できるようになること。私の周囲には、まるで、そよ風が吹くかのごとく、安々とその課題を達成された方が、何人かいらっしゃいます。そんな方と一緒にいると摩訶不思議・・・ それが当たり前のように感じてきます。

 

その方たちに共通するのは、少々の事では動じない。そして、感謝しなければ・・・と義務感から感謝するのではなく、感謝の念が、自ずと、その心のままに発露し、あふれていること。私も見習い、奇跡を平常心におくことができるよう、そして、感謝の念が発露するよう、人格を高めます。

 

積善の家に余慶あり、積不善の家に余殃(よおう)あり」という言葉を思い出します。昔から、よく、提灯の日が消えたために、禍を免れたとか、また履き物の緒が切れたために、災害を免れたなどといわれます。

 

これは決して偶然ではなく、真の運であり、因果応報の道理だそうです。善行を重ねているような人には、自然にめでたいことが集まってくるもの。人知れず善いことを積み重ねていくよう、努力することは決して無駄にはなりません

 

今ある現状は、決して自分の力だけでなく、先祖から受け継いだ徳のお陰であることを忘れないこと。感謝を忘れず、コツコツと徳の貯蓄に励みたいと思います

2011.04.01

自らの魂に火をつけろ

初めに、東日本大震災により、被災された多くの方の御冥福と復興を心よりお祈り申し上げます。

 

戦後最大の未曾有の大災害、あまりにも大きすぎる代償、これほど大きな犠牲を払ってまで、神様が私たちに教えようとしていることは何なのか。私たちは、その神様の警鐘に、真摯に耳を傾ける必要があるのではないでしょうか

一部の心ない人間がとっている恥ずべき行動は、神様の目にどのように映っているのでしょうか。

 

いたずらに放射能におびえる風評被害。今まさに、目に見えない敵と戦いながら行われている決死の復旧活動も、他人事にしか映らない当事者意識の欠落。非常事態での誤った認識は、ぎりぎりの生活の維持さえも、更に停滞させることに繋がります。一人一人が真実を見極める心眼を持ち、細心の注意のもとに発言し、行動しなければなりません

 

我が身だけ、我が家族だけを守ろうと買占めをする、被災地以外の私心に溢れた行動。そして、最も愚かであることは、被災していないにもかかわらず、周囲を見渡し、様子をうかがう、日和見主義による、自粛をあおる風土。消費における閉塞感は必ず経済を悪化させます。

そのような恥ずべき行動を、果たして神様が赦すでしょうか。生き残り、平常の生活が送れる人間の使命は何たるか。

今まさに、見えない蜘蛛の糸が天上からたらされているのではないでしょうか。 私たちは、たまたま東北に住んでいなかっただけ。

 

天上から今の日本を見渡すことができたなら、自分は何をなすべきか…戦後の焼け野原から立ちあがった日本人の気骨を、私たちは思いださねばなりません。そして、経営者である私たちがすべきことは、 自粛することではなく、今までの何倍も働き、業績を上げ、社会に還元すること

 

今こそ、日本中に元気を与えるべく、自らの魂に火をつけよ!これこそ、私たち経営者の使命ではないでしょうか。

(週刊朝日4/1号のJAL稲盛会長の記事よりタイトルを引用しました)

2011.03.01

傲慢こそ最大の敵

どうして人は傲慢になってしまうのでしょうか

したり顔で人にアドバイスをし、又は、得意気に人を諭す・・・自分でも知らないうちに、自分の考えを押し付け、人を傷つけていることがあるのではないでしょうか。悲しいことに、どんなに正しい内容であれ、欠点を指摘されて喜ぶ人はいません。それどころか、指摘された人は、指摘した人を恨んだり、中には心に深い傷を負う人もいます。

 

正しいことを指摘するには、その何百倍もの、相手に対する深い愛情がなくては、その思いは決して通じません


自分の考えこそ、絶対正義だと信じて疑わなくなった瞬間、天の声は聴こえなくなり、神様から見放され、やがて器は進化を止めてしまうでしょう。 正に動機善なりや、私心なかりしか・・自分の利己心からの指摘は自己満足であり、行き過ぎた大善は、天に唾気をかけることと同様かもしれません。

 

 

「自分は謙虚だから大丈夫!」と優位性をもった人ほど要注意です。お客様に対する態度と、業者様に対する態度が


少し異なる人が多いことも大変残念なことです。これもまた「自分は親切だから大丈夫!」と思った人ほど要注意・・・ 自分の事は驚くほど見えていないものです。

 

自社の繁栄を強く願うこと、至極当たり前のことです。しかし、その為には、 社員は当然のこと、お客様同様に、取引業者様、社会の繁栄を等しく願わなければ、大成できるはずがありません。

 

私は仕事柄、お客様だけでなく、たくさんの経営者の方と本質的に対話する機会が多くあります。大変ありがたいことに、その方の品性の変化を如実に感じさせていただきます。 常に感謝の花が咲き乱れている人。 守成期に入り、創業期の精神と苦労を忘れてしまう人。厳しい経営状況という金科玉条をふりかざし、自分の都合だけを押し付けようと躍起になる人。すべて学びの源泉となります。

 

自分が傲慢であることを、一番知らない人は自分自身です。傲慢こそ最大の敵・・・常に自戒し、真心をもって生きてゆくことを肝に銘じます。       

2011.02.01

許されて生きる

 今年になって早々、神様から大切な贈り物を頂戴しました。お客様からの大善の御意見です。

「このまま、同じ内容であれば、必要性を感じなくなると思います。進化し続けて下さい」

 よくよく考えてみれば、当たり前のこと。まさに天の声。原因は、何年も同じ商品を提供し続けているから。怠けているつもりは当然なし。毎日、必死に、勤勉に取り組んでいます。

 

 正直、答えは簡単に見つかりません。寝ても覚めても、ずっとずっと考え続けています。私たちの仕事の本当の価値は何?どうすれば本質的にお役にたてるのか?経営者の大事な仕事は、会社の将来に手をうつことではないでしょうか

 

 ビジネスは何もしなければ陳腐化してゆきます。永続的に発展するためには、イノベーションが必要不可欠です。お客様に買っていただく商品が陳腐化しているにも関わらず、何も手を打たず、従業員に努力せよと言ってみたところで、何も始まりません。

潜在意識に透徹するまで、この危機意識を持ち合わせている経営者が、世の中にどれくらいいるでしょうか。

 仮説、検証、シミュレーションを繰り返し、進化しようとだれにも負けない努力をすること。日常的に、漠たる不安を討論する場を創ることができているか・・・反省しきりです。従業員は毎日必死で働いてくれています。せめて経営者は、潮の変わり目を見過ごさないこと。

 

 今現在、業績が良いことは、過去の頑張りの成果であり、過去の財産を食いつぶしているにすぎません。将来に向けて喜びの種をまいているか・・・売上が伸びないことが問題ではありません。 イノベーションの勘所を見失っていることが大きな問題であるということを、経営者自身が真摯に反省し、襟を正すこと。 再出発にもう遅いはありません。

 

 大善をもって苦言を呈して下さったお客様に心から感謝します。そんな素晴らしいお客様に支えられ、許されて生きていることを肝に銘じ、必ず進化することをここに誓います

2011.01.01

新しい道

 新年明けましておめでとうございます。旧年中は格別のお引き立てに賜り、厚く御礼申し上げます。本年もご愛顧の程、何卒よろしくお願い申し上げます。

 

 年初に当たり、なぜ開業したのか・・・ 初心に帰り、もう一度思い返してみました。

漠然としたものでしたが、理由は大きく二つ。お客様に対する情熱そして同志を増やすこと。開業して7年半、理想と現実の狭間で大きく揺れ動きました。

 

 幼稚な私は、精神を病む寸前の葛藤と戦いながらも、「お客様に対し、心のこもった納得のゆく本物のサービスをする」「お客様に幸せになっていただくことを通じて、社会に貢献する」 根っこの部分はまったく変わっていません。

 

 「言ってることとやってることが違うじゃないか・・・」そんなお客様の声が、天の声となり聞こえてきます。スタッフ一人一人、見ていて涙が出るくらい頑張ってくれています。経営者として、自力の限界まで努力しているつもりですが、完全なサービスの域には達していません。しかし、他の事務所にない能力が、Idoのスタッフにはあります。お客様の役に立ちたいと本気で思える素直さ。つまずいても、叱られても、愚直に頑張る勤勉性、そして謙虚な人間性。本物のサービスを追求するには、血の通った同志がたくさん必要です

 偽善でなく、働くスタッフ一人一人が、あふれんばかりのやりがいと、働く目的を実感しながら、仕事に取り組める事務所を皆で創りたいと思います。

 

 会計事務所の仕事は、無形の価値の創造です。極端にいえば、他人のふんどしで相撲を取る仕事です。だからこそ、「何かを生み出すお客様を心から応援できる気持ち、お客様をモチベートできる情熱を持ち続けることが最も大事なこと」 だと思っております。

 

 差し障りのない人間関係からは何も生まれません。本気で人と関わって初めて信頼が生まれます。素直に信頼できる仲間に巡り合い、ベクトルがそろったとき、力は足し算から掛け算に進化します。言葉で言うのは簡単ですが、できそうでできない究極の課題です。そして唯一の凡人でもできる天才に勝る方法です。

 

 年初にあたり、改めて初志貫徹を決意し、皆さんと共に、自らの新しい道を歩んで行きたいと思います。

2010.12.01

知覧の風

今年も残すところ1か月、年始と比べ、どれだけ成長できたか?自問自答を繰り返す季節となりました。

 先月、鹿児島の知覧という場所を訪れました。そこは今までの生涯で、最も心を揺さぶられた場所でした。 自分は生かされている・・・多くの先人たちの志に支えられている・・・ その日、生まれて初めて、祖先との繋がりを強烈に実感しました。

 

 知覧には、知覧特攻平和会館があります。特攻隊員として、国のために自らの命を捧げた、17歳から20代前半の若者439人の、崇高至純の精神を顕彰し、同時に世界平和を祈念するために建立されたものです。脈々と受け継がれた、国への愛、残された家族への愛、利他の精神。その精神の高さ、一途さは、眩いばかりの神々しさです。先人たちの未来に託した思いに、止めどなく、涙が溢れました。

 託されたのは、紛れもなく私たち・・・ そんな天からの祈りに、私は応えているだろうか。自分が今ぶち当たっている壁は、何と小さく、ばかばかしいものであろうか。自分の命と向き合うこととは、比較にさえなりません。しかも使命を全うする時間も与えられています。

 いざ天に旅立とうとしたその時、何を持っていけるだろうか・・・そう考えた時、すべての垢がそぎ落とされていきました。お金、名誉でもないことは明白です。

 

   人として正しいことをしてきたか・・・全力で誠実に生きてきたか・・・他人はごまかせても、自分自身はごまかすことはできません。

 

 小さな頃、よく両親から言われました。 お天道様が見ている。天に恥じない生き方をしてきたか ・・・その一言に尽きるのではないでしょうか。約一カ月経過した今尚、この原稿を書いているだけで涙があふれます。そんな先人に恥じない生き方をしようと心に誓いました。仔細なことで行き詰まることがあれば、再びこの地を訪れ、知覧の風に身をゆだねたいと思います。

 

「    あんまり緑が美しい 今日これから

      死にに行くこと事すら 忘れてしまいそうだ。

   真青な空 ぽかんと浮かぶ白い雲 

   六月の知覧は  もうセミの声がして  夏を思わせる

    作戦命令を待っている間に  」 

                                                   枝幹二大尉 22歳で散華 

                              参考: 新編 知覧特別攻撃隊 高岡修編

2010.11.01

職人道

 経営者になってほどなく、自分の克服すべき性分と対峙しました。

当たり前ですが、本能のまま経営してゆくことは心底難しい…その性分を克服しようと、私はこの2年間、偽物の自分を人格者への成長と偽り、本質と向き合わず時を過ごしました。瞬間的に激昂する生まれつき短気な性分を、根本的に拓かれたものに変遷させることなく、我慢することで、距離をおき、差し障りのない関わりを保ってきました。

 しかし、それは自分の魂に嘘をつき、ごまかすこと…。魂は濁り始め、輝きを落としました。

 

 ある本の中で盤珪禅師の話を読みました。

「私は短気で師匠にも意見をされておりますがなかなか直りません。これはいかんと思い努力はしておるのですが生まれつきで何ともなりません。どうすれば直りましょうか。」とある僧から質問されます。

 

禅師いわく  「あなたは面白いものをもって生まれついたものだ。それなら今ここに短気とやらを出しなさい。直してしんぜよう。」

僧いわく   「今はございません。ひょっとした拍子に短気が出ます。」

禅師いわく  「それなら短気は生まれつき持ち合わせているものではない。」

 

 読んでハッとしました。まず生まれつきなどと言うこと自体、親への責任転嫁。すべて自分自身の責任です。  どうしようもない自分を認めて、受け入れて、それを土台にして積み上げ拓いていくしかありません。そういう自分が無いかの如く生きることは偽善です。

偽善に逃げるのではなく、「我」の囚われから根本から解放されるよう努力すること 。“知恵あるものに怒りなし…

 

 まずは反省という自己弁解から一歩踏み出します。短気な性分を直すのではなく、伝えることの崇高さを今一度認識すること 。

魂を売るか売らないか…。ギリギリのところまでお客様と向き合う、祈りにも似た思いは、小手先で伝えられるはずもありません。

 

 我慢して偽善者になり、猫なで声で伝えるのでなく、良心のある未熟な者を導くこと 。

小さな丸い石になっても一流にはなれません。職人道を貫くために、自らが稚心をすてて孤独な精神修行を終了させます。“使命を果たすための事務所経営”、経営を守ることが使命ではありません。もう一度原点に立ち戻り、職人道を貫きます。

 

大欲清浄は独裁でよい…もう迷いはありません。

2010.10.01

克己心

 会社が大きく成長するかしないか、その別れ道は何たるか…多くの社長と接していて感じたことがいくつかあります。

 

  当たり前ですが、まず、社長自身が会社を大きくしたいと強く思うことが大前提。「そこそこでいいや!」と怠け者の自分を容認してみたり、「会社は規模じゃない!中身の充実だ ! 」と都合のよい論理で、自己完結してみたり…

規模とクオリティを両立させることが可能であることをわかっていますが、困難であるということもわかっているため、つい、自分自身に言い訳してしまいます。そんな弱い自分に打ち克つことが重要です。

 

   次に、会社の成長した姿を具体的にイメージし、ワクワクしながら将来を語れるか… 残念ながら、このアクティブイマジネーションだけは知識として学ぶことはできません。そのワクワクしたイメージから俯瞰逆算。空々しいくらい乖離した現状と、まずは逃げずに向き合うこと。

乖離こそ経営を考える原点。乖離が大きければ大きいほど、小手先のテクニックではごまかせず、抜本的な改善を続ける必要が生じます。焦りを緩和しながら、諦めそうになる自分に打ち克つことが重要です。

 

 最後に、人を動かすことができるか。経営とは、人の心を動かすこと

経験・学習・責任を他者にわかるよう話すことが非常に重要です。異質の他者とどこまで通じあうことができるか。通じ合うには、まず相手の良心を信じること。

経営者は、大いなる楽観主義者であり、大いなる性善説論者でなければならないと教えていただきました。未来に対する信念を放棄しそうになる自分に打ち克つことが重要です。

いずれも困難な局面で、自分に打ち克つことができなければ、会社は成長することはできません。

 

 先日、耳にした「克己心」という言葉が強く心に残りました。

読んで字の如し、己に克つ心。己の力のなさを十分に自覚し、自分を高めたい、弱さを克服したいという強い情熱。世の中で成功者といわれる人は、必ず超人的な強い克己心を持っています。

常に超えるべきは今日の自分自身

煩悩、特に欲望、怒り、愚痴の三毒を打ち消すことができるか…

凡人の私には難題ですが、やってみる価値は十分です。  

2010.09.01

夢をみることは重荷を背負うこと

 どうすれば決めたことをやり遂げることができるのか?

   

 経営者を含め、一生懸命生きている人とたくさん接するうち、やりとげられない人の共通点が大きく三つあることに気づきました。

 

   まず初めに、怠惰な性根 。これは小学校の夏休みの宿題から脈々と流れる、根強い性分ともいえます。三つ子の魂百まで、ただ年齢を重ねるだけでは、魂は生まれた時から何も成長していないといえます。

 

   次に、もともと達成する意欲が低い 。そうなればいいなあ…という願望では何事も成就しません。死んでも達成するぞ!という強い意志が必要ですが、中途で頓挫することに一度慣れてしまうと、大きな失望感なくリセットができるようになります。計画は完全に絵に描いた餅となり、叶えられないもの…そう脳裏にインプットされてしまいます。

 

   そして最後は、決めたことを自分の都合のよいように、中途で切り替えてしまう 。思い通りに事が運ばない為、早々に方向転換してしまう。まさに続いてこそ道。あれもこれもと手をつけ、外部環境を理由にしているうち、やるべきことが見えなくなってしまいます。

   大事なことは、真の志と感謝の念

 

 志が本物であれば、自ずと道は開かれ、その開かれた道に感謝の念が自然と沸き起こるはず。右往左往するなら、原点回帰。自分の胸に手を当てて、真摯に自問自答を繰り返すべし。

 

 まずは怠惰で、意欲が低く、移り気である自分を徹底認識すること。自覚ができていない人が、私を含め驚くほど多いので要注意。

 

  「夢を見ることは重荷を背負うこと」(松下幸之助さんの言葉)。迷わず、やりとげるための代償を惜しみなく支払うこと。都合のいい甘えを捨て去ることができるか…

 

  「中尾さんは反省ばかりしてるね…」周囲の皆様から叱咤激励を頂いております。

 

 反省ばかりで成長してない私ですが、ずっともがいています。結果は出なくとも、何も考えない人とは、雲泥の差であると信じます。やはり今月も反省あるのみです。

2010.08.01

人間性を育む会計学

   大不況が特別でなくなり、景気が良かった頃の前向きな気持ちをきれいさっぱり忘れてしまいそうな今、改めて会計事務所の本当の存在理由が問われています。

 

   完全に供給過多となった経済は荒れ狂う大海です。その荒波を、渡って行くことができず、溺れかけている中小企業を目の前にして、何ら抜本的なアドバイスもできず、励ますことが関の山であり、十年一日の如く、形式的な会計用語を並べ立てている、私たち会計を生業とする職業会計人。

会計事務所の価値は何なのか…

会計は儲ける力のない中小企業にとっては無力なのか…

 

 そもそも、なぜお客様は私たち会計事務所に仕事を依頼するのでしょうか?

「法律や会計の専門家は、自分たちが持っている専門知識(ノウハウ)に価値があるからお客様が相談しに来ていると思っているが、とんでもない勘違いで、お客様は自分が大事に扱ってもらえるから相談しに来ているのである

ドラッカーの厳しい御言葉ですが、正直、完全に否定することはできません。

 

 謙虚で勤勉であるという日本人の最大の美徳である国民性が、弱さと甘えに姿を変えてしまった昨今、職業会計人として最低限、身につけるべき技術の習得さえ難しい現状です。ましてや、その積み重ねである経営について達観するなど極めて困難であると言わざるをえません。

しかし本来、その極めて困難であることに挑戦し、そして精進することにより、魂は磨かれるからこそ、お客様から必要とされる存在 になりうるのではないでしょうか。

 

 今私たちに課せられた使命は、もともと利益を生み出す力を持った企業が操る、術としての会計から、会計そのものが人間性を育み、利益を生み出す、道としての会計にイノベーションすること

 

 多くの中小企業と関わる、私たち職業会計人自身が、自らイノベーションし、社会から再び必要とされることこそ、疲弊した社会への最大のお役立ちであると確信し、精進することをここに誓います。

2010.07.01

傲慢

  志を胸に、迷いなく、まっすぐに歩む…

私はたくさんのことを学び、感じとり、理想は天高くそびえました。今の私にとって、この理想こそ志 といえます。

 

俯瞰逆算、その理想から現実を省みて、現実は空々しいくらい乖離しています。しかし正に今、現実に目を向けなくてはならず、現実とのバランスを欠くことは許されません。

知識レベルで考えたことは所詮仮想であり、現実の真理を直観でとらえることが重要です。

乖離こそ経営を考え発展させる原点

理想と現実のかけ離れに気づき、どのように取り組むか…

大きな目標であればこそ、小手先のテクニックではごまかせず、根本的な改善が必要です。しかし、根本的な改善は目に見えず、簡単に結果は出ず、遅々として進みません。

 

     焦ることなかれ、諦めることなかれ…

     目標が高すぎる、急ぎすぎている…

 

周囲から様々な声が囁かれます。

リーダーがぶれないこと

私は、心に描いたことを実行しなくてはいられない、理想に終わらせることは決してできない人間です。しかし、一人高ぶり、ついてこれない周囲を侮蔑することは本末転倒、傲慢以外の何物でもありません。

身近なものを幸せにすることなくして、大きな志が達成できるはずもなし・・・ 志は、スタッフそしてお客様へのお役立ちの積み重ね。

まずは同志を一人一人募ること。光る、光る、磨けば光る、磨いて光らないものは照らせば光る… 目に見えない、リソースは無意識の中にたくさんあるはずです。そのリソースをいかに顕在化するか…

 

   川の真ん中の流れはとても速い…泳ぎだした川は向こう岸まで泳ぎ切らねばならない。

苦しい時はあっても、苦しい人生はない。自らの高ぶりを傲慢に変えず、反省のある毎日を過ごすこと。今の私にとって、足元をすくわれないための一番の命題です。

2010.06.01

虚仮の一心

  この仕事を初めて20年、自分なりに必死にやってきました。力の限り真心をこめてお客様と接しています。天地神明に誓い、お客様をないがしろにしたことは一度もありません。

  しかし最近「中尾さんは冷たくなった。うちの会社を真剣に見てくれていない…」そんなお客様の声を人づてに聞きました。以前の私なら、そのお客様に対し批判の気持ちを持ったに違いありません。

「そんなこと直接言えばいいのに…」

「私が電話してもいつも留守電なのに…」

しかし今回、当たり前ですが心から反省しました。

 

 私が独立した当初は、お客様一人一人に私が直接対応していました。7年たった今、事務所を始めた頃と同じ密度で接することができているかといえば完全にNOです。

 

  数字を通して経営者の方と真摯に向きあい、互いの良心を育み世の中をよくしたい…

 

  同志である、良心あふれるスタッフが、最善を尽くして真心のこもったサービスに努めてはいますが、まだまだ十分とはいえません。

 

 規模とクオリティの問題はすべての会社が通る道です。今回のお客様の声は、その問題にきちんと仕組みとして取り組めていない現状を直視せよ!!

そんな神様からの贈り物に違いありません。

規模とクオリティを両立させることは経営者の使命でもあります。世の中を良くしたいからたくさんの同士が必要であり、その同志を育てるために、たゆまぬ良心磨きとロジカルな仕組み が必要なのです。

 

 「虚仮の一心」という言葉を思い出しました。愚か者でも一つのことを続けるといつか能力となる… もう一度「たが」を締めなおし、経営者としての使命を全うすべく、妥協せず歩んで行こうと思います。

神様からの贈り物を届けて下さったお客様に心より感謝です。   

2010.05.01

神業

 業績の良い会社、悪い会社、二極化が進む中、最近、改めて再認識したことがあります。

  伸びている会社の経営者と、伸び悩んでいる会社の経営者には決定的な違いがあります。

大きくあげると4つ「素直な姿勢」「決断のスピード」「明るく元気」そして最後に、「自分の仕事を愛していること」。

 

伸びている経営者の方は、必ずと言っていいほど肯定から入り、そして良いと思ったことはすぐに取り入れ実行されます。あまりのスピードに脱帽することもしばしばです。

 

  逆に、伸び悩んでいる経営者の方は、同じお話をさせていただいても、今までの価値観に囚われ、必ず否定 から入ります。

そして毎月、同じ悩みを語り、同じできない理由で自分自身に言いわけし、自分を納得させます。囚われた心にはチャンスの前髪は見えません。

  

長い人生の中で、チャンスの神様は、どの人の前にも平等に現れます。しかし、その姿は、良い意見を受け容れようとする、明るく素直な心にしか映らないのです。

そして最後に、自分の仕事を心から愛している方の、仕事に対するこだわりは尋常ではありません。一般レベルからすれば、気がふれたのではないかと疑うほど、真摯に打ち込んでおられます。仕事に対する 揺るぎない大義が時間を忘れさせるのでしょう。

 

   志を全うすべく、精神を病む寸前まで悩み苦しんだ時、神は微笑み、発展へといざない、神業と言われる "ひらめき" を与えて下さるのではないでしょうか。

少し悩み、考えたくらいで、努力していると納得している怠けものには、神の声が聴こえるはずもありません。

 

 自分がどれほどぬるま湯につかっているか自覚し、現状を打破したいと性根を入れ替えることができるか・・・ お客様と向き合う度、背筋を正す毎日です。

2010.04.01

青い鳥

 15年4月8日に開業し、お陰様で7年目を迎えようとしております。7年目にしてようやく辿り着いた、一筋の光を告白します。

 

 事務所の経営は、少しずつですが、何とか増収増益を維持することが出来ています。仕事にもやりがいを感じ、お客様にも大変恵まれています。

 しかし唯一、思い通りに進んでいないのが、私の精神修行です。それはまるで亀の歩みの如く、一進一退。苦労したことがない私は、どんなに努力しても、自分の思い通りに成長しないスタッフに寛容になることができません。

 

 経営者はこうあるべき・・・あるべき姿はカラーの映像として見えるくらいしっかり頭では理解しています。通り一遍のコンサルタントが書いた自己啓発本に書いてある内容は、私の良心に響きません。

 

 しかし、そんなにありふれた、誰もが悩む問題を、7年たった今でも、私は本質的に克服できずにいました。

 

事務所の永続的発展に照らし、経営課題を徹底的に突き詰めれば、 私の人間性 が決定的な根深い問題であることは間違いありません。

 

 従業員の成長の遅さを怒ることは、単なる愚痴であり、天に唾を吐きかけているのと同じです。

 

   盛和塾ハワイの開塾式で教えていただいた言葉を毎日、繰り返し、繰り返し、念仏のように唱えています。

 組織において、リーダーには絶大なる力が与えられます。勘違いしてはならないのは、その力は、リーダーが自分勝手にふるまえる力を与えているのではなく、従業員を守り、幸せにするために与えられているのである。どんな立場になろうと傲慢にならず人格を高め続けなければならない。

 

 ずっとずっと唱えていたら、私の中の 青い鳥が囁きだしました。

 「与えよ…さらば与えられん。」

青い鳥を探し続けていたけれど、青い鳥は私の中にいたのです。

 

 開業7年目にして見えた 一筋の光 …やっと出会えた青い鳥と真摯に対話し、良心をキラキラ輝かせること。青い鳥を育むことこそ、事務所の命運を分ける、布石になることは言うまでもありません。

 

  人生には二つの苦労がある。

  一つは、人生を切り開く苦労であり、

一つは、人を育てる難しさである。

 前者は自分にうち勝つことであり、

後者は自分を捨てることである。

 捨てるということは感謝の心を持つということ。

 (石川洋先生)

2010.03.01

聞こえる耳を持つ

 先日、ある会社で聞いたお話です。

「朝から何もすることのない日があるくらい仕事がない…」悲壮な顔で真剣に相談されました。理由は利益を取れる仕事がないから… 残念ながら、否定的な内容ばかりです。

 

 「仕事は暇な人には決して寄ってきません」

 「仕事は忙しい人を選りすぐって集まってきます」

 

 競争が嫌なら、競争のない“刃の切れるような商品”を売るしかありません。競争が余儀なくされる、ありきたりの商品であれば、“刃の切れるようなサービス”を付加価値とし、死に物狂いで売る努力をするしかない。

 残念ながら、自分の商品の価値は自分で決めることができません。コストがこれだけ…時間がこれだけかかったから…そんなことは一切お客様には関係ありません。

 

 お客様は会社を儲けさせるために来られるのではなく、必要なものを買いに来られます。

お客様の視点に立てば、同じ内容であれば、当然安価な方がうれしいはずです。

 工夫に工夫を重ねて理不尽な要求を克服することが、儲かる体質を創ります。つまり、“売れる値段で、利益が出る商品、サービスを提供する”こと。

 お客様や世の中のせいにするなど言語道断、甘えは禁物です。勘違いしたその瞬間、商売の神様はきびすを返して去ってゆきます。

理屈はわかるが、本質を体得し、悟るには修行が要りそうです。

 

 「自分は大丈夫…」そう思っている人ほど、できていないので要注意。

デッドラインをさまよう会社に会計は無力です。

 税理士が言うべきことではありませんが、会計が錦の御旗になっていないか。極論を言えば 売上がなければ、会計など無用の産物 です。悔しいけれど、会計は聴こえる耳にしか聴こえません。

 お客様の耳に届かなくなる前に、“魂のこもった言霊”を送り続けたいと思います。

2010.02.01

どの山に登るのか

 私は今伸び悩んでいます。

 

自然に身を任せれば、明らかに楽な選択をしようとする自分が存在します。

「突き抜ける人と、伸び悩む人の差はなんだろう・・・」

私はいつもお客様や周囲の人を見ていて思います。

どんな人が儲かるのか・・・そんな稚拙な業績至上主義を説いているのではありません。

 

世の中では中途半端な人がほとんどを占めます。

中途半端とは、かなり努力する層と努力しない層があって初めて存在します。

中途半端が多数を占める領域に生息していると、知らず知らずの間に中途半端が普通になり、その中での価値観が形成されます。

 

「井の中の蛙大海を知らず」

 

幸い私には、現状に甘んずることができない環境が常に天から与えられます。

まるで目前で、レッドカーペットの巻物がクルクルと解かれるように、自然と身を置く環境が変化していきます。そのレッドカーペットを脇目も振らず懸命に歩んできました。私自身はそれを使命と認識しています。

 

しかし、それは私が意識して望んだわけでも、強い情熱が引き寄せたものでもないのです。それが「私の一番の弱点」だと最近ようやく悟りました。

導かれるように歩んできた私には、強烈な願望が欠けているのです。

神様も散々応援してくれたのに、いつまで一皮むけないのか・・憤りを感じて、伸び悩みというお灸をすえているのでしょう。

 

私固有の使命感と、それに対する思想は幸い明確に持ち合わせているつもりです。不足しているものは、自ら「自発的に歩む情熱」です。

 

最近教えていただいた言葉が私のすべてを物語っています。

「何もない、しかしすべてある」 byタゴール

すなわち、私の外に何もない、しかし私の内にすべてある。

 

神様が広げて下さるレッドカーペットの先を見据え、私の内なる良心に息吹を宿すこと。自らが昇る山を自分自身が決めずして突き抜けられるはずもなし。

「どの山を登るのか…」決断すること。

2010.01.01

天の声

 新年明けましておめでとうございます。昨年中は格別のお引き立てを賜り厚く御礼申し上げます。本年もご愛顧の程、何卒よろしくお願い申し上げます。

 

 昨年は改めてたくさんの事を学ぶことができました。自分自身が、会計事務所の典型である、「数字はわかるが経営がわからん税理士」の代表選手でした。

 

 経験しないとわからない「経営の本当の痛み」を少し知りました。経営の本当の痛みは、お金の苦労、人の苦労など様々です。

 

 お金の苦労は「お金の苦労をしたことのない人にはわからない」といわれています。幸い職業柄、お金の苦労をしなくていいよう、自分一人で自助努力することが可能です。

しかし「人の苦労」は違います。 

スタッフから言われた忘れられない言葉が二つあります。

「一番大変なのは中尾さんですね。一番器を広げる必要があるから・・」

そして「中小企業を導く立場にあるIdoなら、会社として完璧に正しいことを行うべきです。事務所の規模は関係ありません。」

傷つくとか、理解してほしいとか、そんな次元を超えていました。まさに私が甘えていたのです。

 

 私も精一杯努力している。努力してもできないから待ってほしい。でもそれは、できないのではなく、やってないのです。スタッフには早い成長を強要しているくせに、自分の成長の遅さを容認していたのです。もはや自ら進んで経営者になったか否かなど、少女の戯言です。

 

     「人生逃げ場なし」

 

 続ける以上結果を出さねばならないのです。

仕事上、お客様に対し、まことしやかに自分の持つ経験知で知った風なことを語り、知った風な口をきいていましたが、実際の経営について私は何もわかっていませんでした。

 

 今年こそ「本物の経営者」への階段を一段でも上がります。

   「君子は人の美を成し、人の悪を成さず」

   「小人は是に反す」

 外部環境と戦いながらもスタッフの育成を真に祈ること。まさしく小人である私が少しでも君子に近づけたなら・・経営者に最も不向きな私の変化こそ、関わる人すべてに、不可能はない、そんな希望を与えるのではないでしょうか。

 

 「折れずに続けること」 今年の決意表明です。

2009.12.01

もがき苦しむ

  今年も人格を高めることなく終焉を迎えようとしています。

しかし、今年ほど良い人間になろうと、もがき苦しんだ年はありません。アルコール中毒患者や覚醒剤中毒患者の気持ちがわかるような気がします。

強くそう願いながらも、結局本能に負けてしまいます。

 改善しよう・・

 

 自分のことは後回しにして、人のために尽くす人間になりたい。

 その気持ちに嘘はありません。

 

 我田引水の田でとれるお米は、家族で食べる量が限界です。身近な行動目標として、社内外問わず、できる限り人のお世話をする。

 自分の都合、つまり私心で物事を考えない・・ 

そう掲げました。

 

 1年間実践しましたが、心の奥底から湧き出るような自発的な気持ちというより、むしろ「何で私が・・」そんなネガティブな発想をぬぐい去ることができていません。

 

 心がきれいな人には汚いものがみえない・・汚いものが見えるということは己も同類だと悟る必要があります。自分自身に奉仕を喜びとする気持ちに反する本心があるから、世話をしてもらって当然の人を容認できません。

 まったく修行が足りていません。

 

 ただ、心が汚くてきれいになりたいと、心から切望する人でなければ、わからない痛みもあるはずです。

なぜなら、心が汚いのにきれいになることは非常に難しく、その望み自体が神様から与えられた試練だからです。本当の人格者は前世でその修行を完結したに違いありません。

 

『才を徳で制する』という言葉を思い出しました。

周囲を見渡せば、神様から与えられた才能を私物化している人がほとんどです。私は人並み外れた才を持ち合わせていませんが、凡人の才を制するだけの徳さえ持ち合わせていないようです。

 

 残念ながら、人格を高めるという目標は来年に持ち越しですが、もがき苦しむ覚悟だけは備わりました。

 引き続きチャレンジします。

2009.11.01

I do の存在意義

  今年も残すところ2ヶ月。

 

 I doは、まだたくさんの課題を抱えています。そんな中、やっと「経営とは何たるか」を考えることができる様になってきたと思います。

 

  すべての商売において、利益を出すことは、理論的に難しいことではありません。売上より経費が少なければいい・・・シンプルなはずです。

 

  経営とは、高収益体質を作ること。

「儲からない値決めをしている、すなわち経営をしていないということ。」とある人から言われて、頭をガツンと殴られるような気付きを得ました。

「経営をしていないとは、経営者ではないということ。」であれば、役員報酬を返還しなければなりません。耳が痛い言葉ですが本質をついています。

 

  値決めとは、お客様が喜んでくださる一番高い値段をシューティングすること。経営者がすべき最も大事な仕事です。安い値段で売ることは誰でも出来ます。安易に安売りする風土を容認していないか。

ともすれば、即座に利益なき繁忙へ身を落としてしまいます。まずは値段を自分で決めれるようになること

そのために何を改善すべきか。下請けだから・・中間業者だから・・リーマンショック100年に一度の不景気だから・・愚痴を言いながら、過去に囚われたまま、ただ手をこまねいていませんか?

 

 守りから攻めの経営への転換

競争相手があふれる業界で、後発組、知名度なし、ゼロからのスタート。いかにそのマイナス要素を強みに変えるか、反骨精神、燃える闘魂を企業風土とすることができるか。同志であるスタッフ一人一人が自分なりの強みを、オリジナルの魅力ある商品に創りこめるはずです。

それは必ず、大きな付加価値の向上をもたらします。

 

  会計事務所、コンサルティング、会計専門学校、すべての概念゙を超越した、I doの存在意義とは・・・言葉にならないけれどキラキラ輝いている暗黙知

それを熟考し、必ず言葉にしようと思います

2009.10.01

言葉を磨く

皆さんは自分の考えや感じたことを、適切に言葉にすることができますか?

心の機微、複雑な感情になればなるほどストレートに表現できません。「なんと言えばいいのか・・」慎重に言葉を選び、ちりばめながら頭をフル回転させます。

しかし、いくら回転させても言葉としてはでてきません。思いはあるのになぜでしょうか。

 

仕事には複数の人間が介在します。

自分の思いを伝えられなければ何も始まりません。そして仕事のステージに上がると、微妙な認識のずれ、配慮に欠けた不用意な一言が命取りとなります。

 

人は苦労した挙句、失敗したり、思い通りの結果が出せず挫折したことで、内なる叫びに命が宿ります。自分と真剣に向き合えば、体の奥底から言霊があふれ出します。その言霊は、あふれ出すけど言葉にならないのです。それを“暗黙知”と言います。

経験や勘に基づく知識のことで、言葉などで表現が難しいものと定義されます。

 

それとは反対に、主に文章化、図表化、数式化などによって説明、表現できる知識のことを“形式知”と言います。

語彙が不足している人は、暗黙知を形式知に変換できません。経験すること、学ぶことで、語彙を蓄え、暗黙知を形式知として表現することが必要です。つまり言葉を磨く努力をするしかないのです。

 

難しいと言い訳をした瞬間、未来永劫限られた範囲の世界でしか、意思疎通が図れなくなります。

また、概念化し、それを組織の知とする能力がなければ組織化など図れるはずがありません。

まずは言葉にしたい・・そう強く思うこと。

そして本質を見極め、追究しようとする深遠なる洞察力を磨くこと。それと同時に、言語化しようと切磋琢磨し練磨すること。その弛まぬ努力を続けることでしか、語彙を豊富にすることはできないでしょう。

 

心を磨き、言葉を磨いてゆきたいものです。

2009.09.01

普遍の暮らし

 現代社会では、普通の暮らしを営むことがものすごく難しくなっているのではないでしょうか。

 

 私のイメージする普通の暮らしとは、学校を卒業して就職し、普通に働き、贅沢を言わなければ普通の一戸建ての家が買えて、子供を大学に行かせることができる暮らしです。

 

 しかし格差社会、ワーキングプアなど、言葉が独り歩きしていますが、普通の暮らしを営む社会的ラインから逸脱してしまう割合が高くなっているようです。

 

 昔の人の大半が、現在の若い世代の非常に頑張っている人と同じくらい頑張っていたことが原因でしょうか。

 簡単に言うと普通の基準が大きく変化し、頑張る基準がどんどん低くなっています

 

 みんなが努力することで形成された社会と、みんながあまり努力しなくなった社会が同じであるはずがありません。

 

 自ら負けないように自己を奮い立たせなくては普通のくらしを営む基準すらクリアできません。

 

 恐ろしいのは若い人たちがそれに気づいていないこと。普通に頑張れば普通の暮らしができる社会が理想ですが、国に不平不満を言っても何も始まりません。

 

  みんなが自分さえよければいいという原理が強く働き、自分の会社さえ生き残ればいいと思っています。お陰様、お役立ちの相互扶助により経済も発展します。

  多くの雇用を創出する中小企業の経営者は、若い人たちにまず「何のために働くのか」「働く姿勢」について再認識させる必要があるのではないでしょうか。

 

未曽有の経済不況の最中だからこそ、急がば回れ・・普通の暮らしはみんなで創るもの。 

 

  小さな実践の積み重ねこそ社会を動かす原動力であると私は信じます

2009.09.01

真言

  仕事をしていて一番うれしいことは、「お客様に自分の真心が通じたとき」です。逆に、仕事をしていて一番哀しいことは、「自分の真心が届かなかったとき」です。

  仕事の経験を積めば積むほど、物事の本質を伝える難しさが増します。未熟であれ、お客様を思う気持ちに決して嘘はありません。

 

 「真心が届かない理由は何であるか・・・」

 

  本質はシンプルなはずですが、それぞれの私心が様々な感情のひだをまとい、物事を複雑にします。自己と他者の対立には必ず私心が介在します。

  神様が与えて下さる問題に、自身の人格の成長が追いついていないのか、それとも語彙の不足、言葉足らずによるものか。言葉が心から唱えられるとしたなら、語彙の不足は心の不足ともいえます。いずれにしろ安易な解決策は存在しません。

 

  あるものを認識しない人にとっては、そのものは実在しないといいます。共通認識が存在しない以上交わることはありません。

 

  「御縁がなかった・・」そんな言葉が脳裏に浮かびます。

しかし縁は決して他力本願のものではないと思います。

 

  学ぶことと年齢を重ねることでしか人は変わることができません。知らないことは恥ではありませんが、知ろうとしないことは恥です。

感謝欠乏症が増幅している社会において、感謝神経を磨くこともその御縁を手繰り寄せる方法の一つではないでしょうか。

 

  自らの苦言を聞き入れていただくには相手に対し誠を持たなくてはなりません。通じないのは、相手の誠が足りないのか、己の誠が足りないのか・・万事足るを知る、相手に誠の不足を責めたてても何の解決にもつながりません。

 

  「万人の奥底には “良知”という善なる心が等しく息づいている」、その言葉を繰り返し、繰り返し、常に自問自答し、真言といえるまで、心を磨くしかありません。

 

  容易でないからこそ、精進する意味が人生にはあるのではないでしょうか。

2009.08.01

お客様は最後まで正しい

   私が独立する前から監査担当者として一番大事にしている価値観です。

 

 お客様は会計・税法のプロではありません。勘違いもあります。理不尽なお叱りもあると思います。お客様が感じたこと、疑問に思ったことをしっかり受け止めることが重要です。

 いくらうわべを取り繕っても、お客様に少しでも不満を抱けば、その不満は即座にお客様に伝わります。勘違いさせた自分の未熟さを真摯に反省すべきです。

 本当のことを言ってくれる人、苦言を呈して下さる方ほど、情が深く誠実な方です。

良心を判断基準に、素直な態度で接すれば、たとえ時間がかかったとしても、後に必ずご理解いただけるはずです。

しかしお客様の言うことを何でも聞く、お客様の奴隷になることとは全く異なります。未熟なスタッフは、この違いを本質的に理解することが難しいようです。

 

        "お客様は商売の先輩です"

       "生きた数字の実践者です"

 

  少しくらい自分のほうが数字がわかるからと言って決して驕ってはなりません。

数字がわかったくらいで、経営はできません。

 

 「お客様の尊敬すべきところ、学ぶべきところ、愛すべきところを吸収したい・・」

そんな謙虚な気持ちで接するようスタッフに話しています。

 真から理解するには、お客様に興味を持ち、理解されない苦しみをどれだけ経験できるか・・ 祈るような気持ちで見守るしかありません。

 

   開業して6 年、この大事にしていた価値観に埃がかぶっていたようです。

お客様の業績が思わしくない今こそ、この価値観に磨きをかけ、お客様のありのままの現状を受け入れ、誠を尽くすこと。

 差し障りのないほめ言葉、責任のない承認、中途半端な人間関係は必要ありません。

 

 土俵の外はどん底の谷間です。土俵際の踏ん張りだけが己を鍛える・・初心に帰りたいと思います。

 

2009.07.01

追い込まれるチャンス

毎年、何らかの形で自分の持っている能力より、はるかに高い能力を要求されるチャンス(?)に恵まれています。

恐らく、そのお声をかけて下さる人から見れば、私にとって不可能ではないと思うからこそ、お声をかけて下さるのでしょう。

しかし、その時点においては確実に見誤っています。

 

 「お断りしたらどうなるだろう?」 逃げ道を探ってみたり、

 「失敗したらどうなるのだろう?」 最悪の状況を想定したり、

 

 結局6年間、すべて「やります!」と答えてきました。

 

幼少期からぎりぎりまでエンジンのかからない習性のため、決戦の日が近づくにつれ、決定的な悲壮感に変化します。そして、そのプレッシャーを楽しむ器のない私は、悲壮感を抱いたまま、当日をむかえるのです。

 

満足のいく結果に終わった時、不十分な結果に終わった時、いずれも通常では得難い貴重な経験をさせて頂いております。

 

盛和塾の会計学講座もその一つです。

税理士という職業柄、セミナーをさせていただく機会は多いほうですが、この盛和塾大阪の会計学講座は特別です。

 

理由を一言で表現するなら「術より道」

単なる税法や会計の知識、所謂「術」を学ぶセミナーではなく、稲盛塾長の「実学」をベースに「経営という道を極めるために本質的に必要な会計学」という極めて深淵なるテーマを追求しているセミナーです。

 

   ご一緒させていただいている講師の先生方も、本来、未熟な私が肩を並べられるような方ではありません。

 自分でも時々、不思議な感覚に襲われます。

 

  人間には本来、強い、弱いという区別はないかもしれません。楽してほどほどに成長しようなど「言語道断」。限界に挑戦することなく、成長の機会はないのでしょう。

 

 試練を与え続けて下さる神様に心より感謝です。

2009.06.01

怒りの克服

私が最も克服したい人間的欠陥は、怒りを抑制できないこと、そして寛容でないことです。自分の現在の価値観にとらわれ他人を赦すことが容易にできません。

 

   他人に完全を求めることこそ愚の骨頂と理解しながらも、すぐさま怒りに囚われてしまいます。

   怒りの感情に駆られて、人に対して悪いことをしたり、自分にとってよくない結果になることもあります。一時の怒りの爆発によって、大きな不幸を招いてしまう可能性もあります

   怒りは人の感情の中でも激しいもので、瞬間的に湧きあがり、一気に増幅し、自分自身でコントロール不能となります。

  

   古くからキリスト教においても人を罪に導く七つの大罪として3番目に「憤怒」をあげています。

   そして六波羅密でも「貪欲」「怒り」「愚痴」の三毒が人間の持つ最も大きな「煩悩」といわれています

  

   煩悩は本来人間が生きるために与えていただいた本能ということですが、過ぎたれば身を滅ぼすことにつながります。

   いつまでも人が変わることを期待し続けるのかそれとも自分の考えを変えるか。答えは後者しかありません。

  

   人格者になりたい・・心から思います。周囲を見渡せば、年齢を問わず、穏やかで悟りを開いた坊さんのような方がたくさんいらっしゃいます。

   何よりもそんな方に畏敬の念を抱きます。

   努力を重ねて私心を排してこられた結果であり、弛まぬ努力を継続されているのだと思います。

   少しずつでいい・・いかに私心を捨て公に身を委ねられるか。

 

   自由な時はそのように発想できますが、仕事に行き詰まったり、知識にとらわれたとたん、自分自身が苦しみ、周囲も苦しめて不自由になります。

 

   経営者の仕事は社員に夢を与え続けること。

   トップが人格を高め伸びなければ、幹部は決して伸びません

   子供じみた怒りの本能に委ねている暇は決してありません。

2009.05.01

問題は神様からの贈り物

 お客様を見回しても、スタッフを見回しても、皆、様々なことで悩んでいます。

 

  不渡り後の資金繰り、売上の先行、従業員の成長、自分自身の能力の限界、健康、ご主人の浮気??などなど・・悩みの種は千差万別です。

 

 私にもたくさん悩みがあります。

  しかし私は最近、神様が各自成長できるよう、その人に応じた課題を適宜与えて下さっているのだと考えるようにしています。

 課題を与えて、その人がどのように対処して乗り越えてゆくのかをみているのではないでしょうか。

 

容易に乗り越えられないからといって他人に八つ当たりする人。

精神的にダメージを受けてしまう人。

自分には無理だと早々にあきらめてしまう人。

 

最も神様が嫌うのは、ネガティブな思考に終始し、周囲に感謝できない人ではないでしょうか。

 

 神様はその人の器に応じた課題しか与えません。言葉をかえれば、乗り越えられない問題は発生しません。

 

 次々と問題が発生するのは、その人が早いスピードで成長している証拠です。

逆を言えば、悩みなくのんびりしている人は成長が止まっているのではないでしょうか。

 

  神様は万能だからこそ、その人に応じた課題を与え続けられるのではないでしょうか。

 

 神様を自分と置き換えてみてください。

子供の頃、両親から常々お天道様が見ていると言われたことを思い出します。自分の中で唯一自分を客観的にみている自己が神様、つまりお天道様です。

 

 他人をごまかせても自分自身はごまかせません

 

  混迷の世であるからこそ、次々と発生する問題を魂で判断しなければ本質を見間違えるでしょう・・

  なぜなら、自身の魂は常に正しいことを知っているからです。

 

  自分を信じ明るく前向きに実直に歩めば、速度の違いはあれ、必ず成長して行けるはずです。

 

 心を鎮めて経営してゆきたいと思います。

2009.03.01

着眼大局・着手小局

 先日1年ぶりに「温心塾」という勉強会に参加しました。

 

 温心塾はもともと「スピーチ倶楽部」という名称の勉強会で、私の参加目的は人前で話すことに対する苦手意識の払拭でした。

 

 開業したころ、先輩経営者の素晴らしいスピーチを聞くたび、自分の番が回ってくることが恐怖でした。自分を良く見せようとうわべを取り繕い借りてきた言葉を並べ立てても、一層自信を失うばかりでした。

 

 勉強会に継続して参加し学んだことは、話し方のテクニックで人の心を動かすことは決してできないということ。話し手の真心、温かさ、そして聞き手を思う気持ちが自然に波動として聞き手に伝わり感動を呼びます

 

 良い話をしようと思えば心を高めるしかありません。「薄っぺらな人生を歩んできた人の話は薄っぺら」「自分勝手な人の話は自分勝手」どれだけ真剣に生きてきたか如実に現れます。

  大袈裟にいえば今までの生き様が透けてみえてしまいます。

 

 「着眼大局・着手小局」眼のつけどころは大きく洞察し、実践は小さなことの積み重ねという教えがあります。

 

 大きな洞察ができないのは小利にとらわれるから。足もとの実践がおろそかになるのは背伸びをするから。徳人はみな身を低くしている。身を低くしてみるとすべてのものを生かすことができる。(孔子の弟子・荀子の言葉より)

 

  大きな目標を達成しようと思えば足元の小事に至誠を尽くすことからはじまります。

 

  私は日々、自分の傲慢な性分が嫌いで闘っていますが、闘うのではなく性分と素直に向き合い、心を高める弛まぬ努力を怠らないこと。

  本当の目的を思い出せてくれた温心塾に心より感謝です。

2009.02.01

逃げ道をふさぐ

 不況の深刻化という不安のもとに幕開けした平成21年、考えてみればその不安はどこから来るのでしょうか。

 

 未経験、先が見えない、外的な要因、急速な資源のアップダウン?ただ言えることは、不況の原因を他人や社会のせいにしても何の対策にもならないということ。

 

 道徳なき経済は犯罪、経済なき道徳は寝言・・二宮尊徳先生の言葉にもあるように、原点回帰、妥協なき理念と利益の同時追求こそ、企業存続の最低条件ではないでしょうか。

 

 いずれにしても社会から本当に必要とされているかを問われる時代は続きます。生意気なことを言うようですが、今まで楽をさせていただいていただけ・・創業時と同じ努力を今現在も実践しているか胸に手をあてて聞いてみること

 

 事業が軌道に乗り安定してくると、知らず知らずのうちに驕りが出て、創業時には当たり前にできていた心遣いが次第にできなくなってきます。

 

 

 もう一度すべてのお客様に手を合わせて、素直に感謝すれば今まで見えなかった解決策が見えてくるのではないでしょうか。

 

 先日教えていただいた必勝法を紹介します。何でもいいから経営者から行動を変えてみること。たとえば明日から誰よりも早く来て社員一人一人にあいさつしてみること。いつもと様子が違う、社長が本気だぞ・・行動変容からスタートです。

 

 この大不況を、永続的に発展する構造に見直すチャンスとして、どれだけプラス思考で社員とチャレンジすることができるか!!

 

 私たちはその後の運命を大きく分ける岐路にたっています。開業6年を目前に、このような社会情勢が巡ってきたことは、私に対して背筋を正すようにという神の啓示ではないでしょうか。

 

 せめて「 I do」のお客様は一社たりとも潰さない・・絶対護る、逃げ道をふさぎ、祈る思いで仕事に取組みたいと思います。

2009.01.01

不況を乗り切る5つの心構え

 新年明けましておめでとうございます。昨年中は格別のお引き立てに賜り厚く御礼申し上げます。本年もご愛顧の程、何卒よろしくお願い申し上げます。

 

 昨年は100年に1度という米金融危機が引き起こした景気悪化をもって終焉を迎えました。連日の不景気をあおるマスコミ報道には辟易しますが、経営者として今までと同じ心構えではいけない・・そんな緊張感を皆さん持っているのではないでしょうか。

 

 こんな時こそ、雰囲気に躍らされず、具体的に何をどうすればよいのか、確実に手を打つ必要があります。

 

 先日、盛和塾の勉強会で「不況を乗り切る5つの心構え」という稲盛塾長のお話を教えて頂きました。どれも原理原則にのっとった普遍のテーマです。

 

 一つ、~社内の人間関係に気を配る~           

不況時は普段より細やかな配慮が必要。

 二つ、~あらゆる経費を削減する~            

すべての経費を徹底的に見直し。

 三つ、~営業に力を入れる~               

トップが率先垂範して全員営業に励むべき。

 

 四つ、~新商品の開発~                 

不況を次の発展のためのチャンスとする。

 五つ、~創意工夫~                   

発展する新しい芽を創出する。 

 

 紙面の都合上、詳細をご説明できませんが、あらゆる経費を削減するという項目について色々反省させられました。

 

 中尾会計に対する報酬は、お客様にとって、会社が良くなるための投資として位置づけられているか・・それとも単なるコストになっていないか・・コストというカテゴリーに入れば削減されるべきもの。この不況期こそ、本当に社会から必要とされているか試される時です。

 

 全ての会社の売上が、自分のお客様にとって、そのお客様が幸せになるための投資になっていれば、経費削減など少しも恐れる必要はありません。

 

 お客様のお役に立つ・・そんな基本に立ち返り、額に汗し努力する。背筋を正してスタートを切りたいと思います。

2008.12.01

誰も見ていないところで

 街はいきなり師走ムード、今年も残すところ一ヶ月となりました。今年を振り返り特に感じたことがあります。

 

 即決できず判断を保留してしまう事案が非常に増えたこと。事務所に関わる社会が少しずつ広がるにつれ、今迄のように単純明快とはいかなくなりました。本質的な拠りどころを模索することの連続でした

 

 大袈裟にいえば、自分の判断や発言で人を幸せにしたり、残念ながらその逆もあるという可能性を感じました。信頼は一朝一夕では培えませんが一瞬で崩れ去ります

 

 その危機感を経営者としてどれくらい意識しているか。至誠を尽くしていない日常が多くの原因となります。やりがいが増すほど責任も増します。

 

 私の場合、責任の増加と人格の成長が明らかに比例していません。成長とは自己責任の拡大と言われます。自分が幸せになる選択から社会が幸せになる選択に進化する必要性を強く感じました。

 判断に迷った際、誰も見ていない時に正しい行いをしているかどうか・・そう問われたら今の私は自信を持ってYESと言えません。

 

 ただ言えることは、誰も見ていなくても自分自身が一部始終を見ていること。ごまかした時の何とも言えない後ろめたさは自分に対する裏切りの代償です。

 

 「清ければ魚棲まず」では本末転倒ですが、和する極意を念頭においた上で、自分の都合を捨てることができればきっと天の声が聞こえてくるはずです。

 

 まさに「動機善なりや、私心なかりしか。」

 

 経営者としての道を選んだ以上、人格を高め続けることは生きるための必須事項です。来年素晴らしいスタートがきれるよう、今日からラストスパート全力投球です!!

2008.11.01

会計がわからんで経営ができるか

 大企業を安定性の高い四輪駆動の車に例えたとします。中小零細企業は安定性の悪い原動機付き自転車ではないでしょうか。

 

 四駆の車では何の問題にもならない小さな石ころのような障害物が、原付にとっては転倒を引き起こすこともあります。どんな道でも進んでいける四駆の大企業はナビゲーションもしっかりしているので困難な道は選びません。

 

 しかし、原付はナビゲーションもありません。大企業は常にしっかりと計画を立て安全な経営を行います。自己資本も充実しています。

 

 それに引き替え中小企業はどうでしょう。計画どころか現状把握もままならない会社もあります。会計を後追いの仕事でしかないと考えているからです

 

 興味関心があるのは利益がいくら出たか税金はいくらか、その2点です。

 「会計がわからんで経営ができるか」実学(稲盛和夫氏著)の中で一番衝撃を受けた言葉です。

 

 私が今まで言いたくて言えなかった言葉です。経営者の皆様の中には「数字が嫌いだ」と堂々とおっしゃる方がおられます。

 

 まずその考えを捨てて頂きたいと思います。経営には強い意志が必要であると言われます。心から数字を必要だと思い愛すればこそ数字を体得できるのではないでしょうか

 

 皆さんも「私は数字が大好きです」と心から向き合って下さい。きっと数字がわかるようになるはずです。

 

 最後に私たち職業会計人にとっては、会計だけわかっても経営がわかるか・・自覚している会計人は少ないのではないでしょうか。常に自戒の念をこめ仕事をしていきたいと思います。

2008.09.01

本当の両立

 北京オリンピックを見ていて印象に残ったことがあります。

 

 選手は全身全霊をかけて競技に取組みます。仕事や家庭、両立すべき様々なものがあるはずですが、情熱は人を巻き込み、周囲のものを支援者に変遷させます。

 

 取り組んだ結果がどうであれ、精神的に成熟しその後の人生をより力強いものにします。

 

 比較対照するには甚だ申し訳ないのですが、税理士試験と仕事の両立というテーマが頭に浮かびました。

 

 多くの人が両立とはいえ、仕事より資格取得に重きをおきます。もちろん勉強で知識を身につけることは大事なことです。

 

 しかし、書物だけでなく人と交わりながら学ばなければ、知識に閉じ込められ、人の気持ちがわからない人間になってしまいます

 

 長期間、感じる力を必要とされずに勉強していると、感受性が著しく低下します。

 

 狭い自分の価値観に自信を持ち、自己完結する習慣を体得します。つまり、人の話を素直に受け入れるという、仕事に最も重要な能力を低下させるのです

 

 試験に合格し、自分では働くことを主と切り替えたとしても、体得した習慣は、強烈なスクラップアンドビルドでもなければ、簡単に覆されることはありません。そう気付かせていただく師にであえるかどうか。

 

 感受性が豊かで何でも吸収できる・・そういう時期は人生の中で20代から30代前半までの十数年間がピークです

 

 この時期にどれだけ良いお客様と本気で仕事に取り組むか

・・その後の仕事のセンスがある程度決まるといっても過言ではありません。

 

 お客様の役に立つ仕事をするための勉強です。本来仕事と勉強の両立でなく一本の道のはずです

 

 オリンピック選手が皆輝いているのは全てが一本の道に繋がった潔さの結晶です。

2008.08.01

思いが通じるまで

 中尾会計事務所では、お客さまのお役に立とうとする気持ちを最も大事にしています。しかし残念ながらお世辞で100点満点とは言えず、お客様にもご迷惑をかけることもある現状です。

 

 私を含めスタッフ全員、お役に立とうとする気持ちは誰にも負けないくらい強く持っています。しかし、問題に気付かず素通りしてしまう場合・・そして、切なる思いが上手く伝えられない場合があります。どうしたらスタッフそれぞれがもっと気づき、そして、思いが伝えられるようになるのでしょうか。

 

 素通りしてしまう原因の第一は、主体性の欠落があげられます。万事受け身で言われたことしかやらない、自分の頭で考えない人に問題を見つけようという意識は働きません。たまたま問題にぶつかったとしても、これは自分の仕事ではないと無意識に通り過ぎてしまいます。

 

 次に、当事者意識の欠落。自分はあくまでも補佐役で主人公ではないと思っています。一番難しいのは、自分では主体的に取り組んでいるつもりなのに問題を見つけられない人。そういう人は本当に自分が真剣に取り組んでいるのか胸に手を当てて考えてみる必要があります。

 

 真剣に取り組むとは、お客様の状況そして自分自身のおかれている状況を複合的に考え尽すこと。他者認識力と自己認識力を高める必要があります

 

 高める秘訣はただ一つ。役に立ちたいという思いの強さです。その気持ちさえ持ち続ければ、いくら未熟でもいずれ成長してゆくはずです。

 

 思いが伝わらないのは、相手の誠が足りないのか、それとも己の誠が足りないのか

 

 まず自分の誠意をもってすれば、どんな人でも説得できる・・中尾会計がそんな人間の集まりになれるよう精進を続けたいと思います。

2008.08.01

裸の価値

 先日、20代前半の人と3日間団体行動をする機会がありました。私はそこで大きな発見をしました。

 

 自分は素直だと認識していましたが、若い人が主流のフィールドに入るとエゴの塊であるということ。普段接することが多い人間関係を思い起こしてみました。

 

 明らかに自分より年上で地位のある男性が主流を占めています。その人たちに馴染もう、その人たちと共感できるようになりたい・・仕事を始めたころ強くそう思いました。

 その反面、同世代の一般的なサラリーマンを心のどこかで馬鹿にするようになり、友人たちとも距離を置くようになりました。

 

 19年たった現在、幸い願いは叶い、それ相応の経営者の方と、対等とまではいきませんが、同じ土俵で話ができるようになってきました。

 

 しかし私自身、何か大事なものを忘れかけているような気がします。

 今回、若い人との団体生活を通じて、どこか斜に構えている自分がはっきり見えました。

 

 参加メンバーが、自分がいつも接している経営者ではないから、自分が真剣に接する必要はない・・心のどこかで上から目線で、力を抜いていました

 

 なんと冷たい傲慢な人間なのでしょうか。知らず知らずのうちに、自分自身が肩書や資格、名刺で価値を判断する種族の仲間入りをしようとしていました。

 

 3日間生活を共にしたみんなには、私の背景は何も関係ありません。そう考えたときふと、私の傲慢さが事務所の若いスタッフと距離をつくっていると確信しました

 

 真剣に向き合わず管理されて喜ぶ人間はいません

 

 遠い離島で生活していたとしても、自分の価値をはっきり言えるような人間でありたいと思います。

2008.07.01

大義名分

 先日、昨春入社の新卒女性スタッフが退職しました。

我が中尾会計では初の新卒社員でした。理由は自信がないとのこと。

 

 今までは会計事務所経験者、もしくは異業種の社会人経験者しか採用していませんでした。様々な経験を経て新卒採用に踏み切ったのですが、事務所の教育体制に問題があったのか?そのスタッフが弱かったのか?いずれの原因にせよ、受け入れる土壌が未完成で見切り発車だったように思います。

 

 ある経営者の方のお話で、幹部と社員に対する接し方は全く別であること。幹部には当然厳しくとも、社員については90%以上優しさをもって接するべきとのこと。

 

 私は我慢して口調を和らげるだけで、未熟な者を導く心からの優しさ、援助の気持ちが欠けていたように思います

 

 私たち会計事務所は、仕入、在庫のない、無形のサービスを提供するビジネスです。人がすべてであり、スタッフ一人一人の成長が事務所の成長です。

 新人が成長しないのは経営者の責任です。

 

 世に出て初めて味わう試練を乗り切るには、何のために仕事をするのか・・夢を描けるかが重要です。

 

 最初から強い人ばかりでは決してありません

 

 私たちの仕事は実際何かを生むことはありませんが、私たちの働きによって経営者が気づき、会社が良くなり、会社の従業員がよくなり、そして社会が良くなる。

 

 幸せの連鎖を生むという事業の目的・意義を伝えるという使命を果たしていませんでした。

 

 「カニは甲羅に似せて穴を掘る」といいます。

 

 経営者が公明正大で大義名分のある高い目的をもち成長しなければ先に続く道はない・・

 

 決意を新たにやり直します。  

2008.06.01

職業選択の自由と責任

 先日の税務調査での出来事です。珍しく若い女性の調査官でおしゃれでかわいい方でした。腕にはロレックスがキラリ・・年のころは20代半ば?一生懸命調べておられましたが、なぜかネガティブオーラが漂っていました。

 

 私は世間話で「おしゃれな女性で税務調査官なんて珍しいですね・・絶対税務署の人に見えないです」と笑顔で話しかけました。

 

 そしたらなんとこう言うのです。「なりたくてなったわけじゃないです。公務員試験受けたら合格してしかたなくなりました。だって嫌がられる仕事だから・・できたら私も喜ばれる仕事がしたいです。」

 

 確かに社会的使命や正義感ぬきで,税務調査官の仕事はつらいと思います。私たちにとっても税務調査がきたらうれしい・・なんて人は正直希少です。しかし国の財政を確保する、そして経済の秩序を護るため、なくてはならない仕事です。

 

 私は幸い20年税理士の仕事にやりがいをもって今まで続けてきました。その続けられること・・それがすべてではないでしょうか。

 器用に立ち回り転職を繰り返す人と、地道に愚直に頑張る人。1年、2年・・短期的にならごまかすことができます。

 

 でも、10年たった時、途方もないくらい差が出ているのではないでしょうか・・

 

 転職を繰り返す人は自分の価値が少しずつ目減りしていることにも気づいていません。

 

 なぜならもう限界と思うところまで頑張り、そして、その限界状態を乗り越えることでしか人は成長しないのです。

 

 となりの芝生は永遠に青い・・

 

 できることはただ一つ。自分の力で今いる芝生をどこの芝生より青くすること

 

 職業選択の自由は万人に保障されています。社会人としてその選択に責任をもちたいものです。

2008.05.01

雛壇からおりて

 4月8日を持ちまして中尾会計事務所は丸5年を迎えました。開業当初のんびりサーフィンしながら…などと考えていた私にとって、今日の中尾会計事務所は想像さえできませんでした。

 

 お蔭様で現在私にはもったいないくらい素直で根性のあるスタッフ10名と、大きな夢を持った素晴らしいお客様に支えられています。

 

 振り返れば自分で切り開くというより何かに導かれるように歩んできました。「そんなに勧めてくださるのならやってみよう・・」ずっと誰かに背中を押されてきたように思います。

 

 ここにきて私が痛感していることが2点あります。 

 

①つくづく私は運がいいということ。

 ②私には皆さんに比べて強烈な願望がまったく足りていないということ。

 

 今までまるでパートナーやお客様に助けられ飾っていただいた雛壇の上のお雛様(!?)でした。

 

 もちろん自分なりにハードワークで誰にも負けない努力をしているつもりでした。でもそれは価値を創造するのではなく、多くの時間を労働に費やしていただけに過ぎません

 

 税理士があふれる今の時代、仕事があることにまず感謝し、そして私のような未熟な経営者を信じ、身を委ねてくれているスタッフの為にも、私自身が成長したいという強烈な願望を抱かなければなりません

 

 今こそ雛壇から降りて本物の経営者になるべく本気で一歩を踏み出す時です。

 

 神様は「与えられた幸運に感謝し、多くの人に役立つ努力をする人間」に、更なる幸運を授けて下さると確信します。怠けるために神様が幸運を下さるのではないということ。

 

 澄んだ心で初心に帰り仕事に全力で取り組むことを誓います。 

2008.04.01

シグナルオン!

 先日「景気踊り場入り」という言葉が、新聞のトップを飾りました。踊り場とは景気の回復が一時的に停滞する状態を指します。

 

 あまりにも緩やかなため実感はありませんでしたが、2002年2月から57ヶ月連続上昇、いざなぎ景気を上回る戦後最長の景気回復といわれていました。 とうとうその成長が足踏み状態になったようです。

 

 サブプライム金融不安、原油高による材料高騰、異常な円高・・物価上昇と景気停滞が同時進行するスタグフレーション(簡単に言えば給料は上がらないのに物価が上がる状況)が懸念されます。

 そんな中参加した経営指針成分化セミナーで聞いたお話を紹介します。

 

 不安材料満載の中、生き残りのキーワードはずばり、お役立ちの原点回帰と人材投資。それぞれの業界でのシェアを拡大すること。不安・不満・不信が渦まいている今こそマグマのように潜在ニーズがあります。

 その不安を解消し、満足を提供し、絶対的な信頼を得ることが決めてとなります。

 何を買うかでなく、誰から買うか・・目に見えないところを徹底的に合理化し、目に見えるところに手をかける。顧客志向のちょっとの差で選ばれ、そのちょっとの差が大きな実績となります。

 

 そんな状況下、私たちはお客様に対し何ができるのか・・いたずらに不安をあおるのではなく、お客様に一早く手を打っていただくよう警鐘を鳴らすこと。

 私たち中尾会計も含めて、お客様自身が今一度、本当に自分のお客様のお役に立ち、信頼関係が築けているか背筋を正していただく必要があるのではないでしょうか。

 

 今こそ原点回帰、お役立ちが問われる時代です。 シグナルオン!! 

2008.03.18

裸の価値

 先日、20代前半の人と3日間団体行動をする機会がありました。私はそこで大きな発見をしました。

 

 自分は素直だと認識していましたが、若い人が主流のフィールドに入るとエゴの塊であるということ。普段接することが多い人間関係を思い起こしてみました。

 

 明らかに自分より年上で地位のある男性が主流を占めています。その人たちに馴染もう、その人たちと共感できるようになりたい・・仕事を始めたころ強くそう思いました。

 その反面、同世代の一般的なサラリーマンを心のどこかで馬鹿にするようになり、友人たちとも距離を置くようになりました。

 

 19年たった現在、幸い願いは叶い、それ相応の経営者の方と、対等とまではいきませんが、同じ土俵で話ができるようになってきました。

 

 しかし私自身、何か大事なものを忘れかけているような気がします。

 今回、若い人との団体生活を通じて、どこか斜に構えている自分がはっきり見えました。

 

 参加メンバーが、自分がいつも接している経営者ではないから、自分が真剣に接する必要はない・・心のどこかで上から目線で、力を抜いていました

 

 なんと冷たい傲慢な人間なのでしょうか。知らず知らずのうちに、自分自身が肩書や資格、名刺で価値を判断する種族の仲間入りをしようとしていました。

 

 3日間生活を共にしたみんなには、私の背景は何も関係ありません。そう考えたときふと、私の傲慢さが事務所の若いスタッフと距離をつくっていると確信しました

 

 真剣に向き合わず管理されて喜ぶ人間はいません

 

 遠い離島で生活していたとしても、自分の価値をはっきり言えるような人間でありたいと思います。

2008.03.01

熟考のススメ

 先日本屋を見渡して気がついたことがあります。手法や考え方を提案する即戦力型のいわゆるノウハウ本が圧倒的に目を引きます。

 

 長引く不況を背景に資格ブーム、老齢化による生涯学習ブームが牽引役となり、社会人の読書人口が増加していること自体とても素晴しいことです。反面創造力や自主性を育てる内容の本が減少しているようです。

 創造力や自主性を育むには、まず原理原則を学ぶ必要があります

 

 世の中の諸事諸則の作用は直接見えにくいものです。基本問題の次に応用問題、そして応用問題に対する対処能力。このステップが本当の勉強ではないでしょうか。

 

 定型化された受験勉強や資格試験に慣れ親しむと、応用問題に対する勉強方法を全く学ばずに20代、30代、下手をすれば40代を向かえてしまいます。

 

 応用パターンを暗記するのではなく、原則を自分で考えて応用する事が大切です。

  速読という読書法は効率アップにはとても有効な手段です。しかし速読で幾ら情報を早く集めても本質は高まりません。資金需要とビジネスチャンスが緊急性を強要し、商売の回転が早くなる一方、手っ取り早く物真似する事をもてはやす風潮が強いようです。

 

 もちろんスピードは大事です。しかし基軸となる考え方を理解しないと小手先だけの物真似に終わり、効果を獲るどころか消耗するだけに終わるでしょう。

 自社の経営が単なる物真似の寄せ集めに終わらない為に、定期的に自社の主体性を熟考する時間を持つことが重要です

 

 立ち止まって良書を熟考し、そして創造力を磨くこと。乱世を行きぬく唯一の方法ではないでしょうか。

2008.01.01

仰ぎ見て

 新年あけましておめでとうございます。昨年中は格別のお引き立てに賜り厚く御礼申し上げます。本年もご愛顧の程、何卒よろしくお願い申し上げます。

 

  昨年は「偽」という言葉に象徴されるよう暗いニュースが相次いだ年でした。今年はどうか光り輝く年となりますように・・

 

  さて新聞ニュース等では、大企業だけでなく中小企業でも過去最高益という企業が増えているようです。なぜ自分の会社は違うのか・・そう思った方もおられると思います。

 様々な要因がありますが、共通していることは常に新しいことに挑戦し続けていること毎年何か変化している会社がよくなっているようです

 

  例えば、得意先、主力商品、業態が数年前とガラッと変ってしまった企業。数年前と変化がない場合、数字がじり貧になっていく傾向があります。それはお客様が進化していることを忘れた結果です

 同じモノを同じお客様に提供し続ければ、飽きられ価格は下がっていくのは必須です。自分が消費者であれば、当然そう思うのではないでしょうか

 

 過去最高益をあげている企業は、そこに手を打ち、数字をしっかりと見て経営をしてきた結果です。そしてそれはすでに無駄なものは切り捨てたことを意味します。

  しかし未だに「削る経営」を行っていない企業があります。手順としては、現状をしっかりと把握できる仕組みを早く創り、無駄なものは何か、課題点は何かを熟考すること。

  今からでも遅くありません。一日も早く「創る経営」への移行が最重要事項です。

 

 どうか皆様、新年にふさわしい仰ぎ見る目標をたててみてはいかがでしょうか。

  私たち中尾会計は、今年も引き続き力の限り皆様のサポートをさせていただきます。お楽しみに!!

2007.12.01

金髪の理由

 先日、新事務所にて初めてセミナーがおこなわれました。たくさんの反省点はあれ、スタッフが一致団結して取り組んだことは何よりの財産になりました。

 その際の温かい叱咤激励のエピソードを紹介します。

 

 私の頭はほぼ金髪です。何を今更?という皆さんの声が聞こえてきそうですが、セミナーが終わって質疑応答の時でした。

 中尾会計に依頼したいができない理由が所長の頭が金髪だということ。それを皆さんどう思っているのか?というご質問でした。

 

 その方の会社のルールで茶髪禁止なのに顧問税理士が金髪なら従業員さんに示しがつかないとのことでした。正直困惑しましたが、決して悪意はなく何とかしたいという愛情があふれていました。

 

 その時は突然で多勢の方の前ということもあり的確なお返事ができませんでしたが私はこんな風に考えます。

 自己主張は人格・技術の両面から一人前になり、自分で責任がとれるようになって初めてできることです。ただしそれは自己判断でなく、社長を含め周囲が認めて初めて一人前です。

 

 人からあらゆることを学び習得する未熟な間は、当然様々なルールに従って修行すべきです。

 その修行を乗り越えれば必ず自己主張はきらりと光る個性に変わるはずです。

 

 私自身金髪は趣味ではなく事務所の戦略です。

はいて捨てるほどいる若輩税理士が生き残るためにどうやって覚えてもらうか・・暗くて話しにくい税理士のイメージを親しみやすくするために・・マイナスイメージは一般人の2倍の仕事の信用で克服しています。

 「自己主張したいなら一日も早く一人前に、そしてデメリットを克服する覚悟で努力を…」

2007.11.01

全力少女

 今年も残すところ2ヶ月、年々スピードが速くなるようです。

 18年前、位置について横1列で社会人スタートをきりました。ワーキングプアが囁かれる昨今、平等とは到底言いがたい現実があります。

 

 私がこの18年で体得したしたことは、人を尊敬するということ。

 現状ではどうやっても歯が立たない相手がいる。できないことに直面して味わう精神的苦痛。それを認めて初めて相手に対する尊敬が生まれます。

 もしこの経験をしないまま年をとったら、尊敬するという思考回路をもたない人間ができあがります。本質的に人を尊敬できない人は絶対伸びません

 

 一定の知識を身につけることはたやすいことです。一番難しいことは成長したいという強烈な願望を抱きつづけること

 

 人には小さな成功体験から学び自己を変革してゆく遺伝子が組み込まれているといわれます。ただし願望がなければ、できないことにも、そして成功体験にも遭遇しません。18年前の私は真剣にやればできるとたかをくくり、決して人を尊敬しませんでした。

 

 やればできるは悪しき希望的感傷。死ぬまでやることができない人のほうが多いのが現実です

 今私には心から尊敬できる人がたくさんいます。それは自分の限界を超える仕事に挑戦することでしか得ることはできません。

 

 皆さんもどうぞあと2ヶ月、全力少女、全力少年で仕事にとりくんで下さい。

 きっと視界が澄み渡るはずです!

 

2007.10.01

トンネルをぬけたら

 先日経営指針のセミナーに参加しました。改善すべき問題点、これからの方向性をじっくり考えるよい機会になりました。

 

 中尾会計は開業して4年半、がむしゃらにパワーだけで進んできました。自分でもびっくりするくらい必死で取り組んだと思います。ただ脇目も振らなかった分、気がつかなかったこともたくさんありました。

 

 自分だけが主人公で、無理をスタッフに強要していることにも気づかず、むしろ喜んで無理をしていると思い込んでいました。創業時の無理はある程度当然ですが、一生無理は続けられません。

 

 いろいろな問題を経てやっと今、経営者として一番大事な仕事に本質的に取り組むべく、機が熟したように思います。幸い希望を胸に中尾会計に来てくれたスタッフも揃っています。彼らの輝きを消さないように・・肝に銘じたいと思います。

 

 セミナーで聞いた先生のお話が強く胸に残りました。失われた10年を終えても多くの中小企業は景気回復の実感はありません。むしろ今より更に強者と弱者の2極化がすすむでしょう。

 

 私自身、長い長いトンネルをぬけた時チャンスを決して見過ごさないよう、もう一度中尾会計の核たる強みを再充電します。そして荒波に揉まれるであろうお客様をしっかり支えてゆきたいと思います。

 

「よい会社にしたいと真摯に取り組む

 お客様と一緒に、その問題を解決してゆく」

 中尾会計の使命をまっとうしたいと思います。

2007.08.01

ゴーイングコンサーン

 先日の新聞でゴーイングコンサーン(継続企業の前提)に関する記事を読みました。企業というものは永遠に継続するもので、それを前提に企業会計は行われるという大原則です。

 

 しかし、現実は厳しく、最近痛切に感じることがあります。それが企業を継続する難しさです。

 中尾会計は開業してわずか4年ですが、約20件のお客様が業績悪化のため、やむをえずご契約中断に至っております。

 

 会社はなぜつぶれるのか・・経営者ならだれもが持つ疑問でしょう。もちろんすべての経営者が希望を胸に、大きな志をもって会社を設立したはずです。

 

 私たち職業会計人の仕事は決算書、申告書を作成するだけではありません。会社が判断に迷ったとき、そして重大な困難に遭遇したとき、客観的かつ最前の判断を下せるよう導くことが最も大事な仕事だと思います。例えるなら、大海にさまよう船が目的地にたどり着けるようナビゲートする。

 

 企業の経済活動と適正な納税が社会を支えています。小手先の脱税テクニックを駆使しても根本的な企業の発展には役立たない。私たち自身が確たる信念を持ってご理解いただくことが重要です。

 

 言うは易し、その域に達するにはまず私たち自身に想像を超えた修行の連続が必要です。誰にもできないことを誰よりも努力すること・・それが生き残るための原理原則ではないでしょうか

 4年を通して実感した正直な気持ちです。

 

2007.07.01

陽の当たる道

 今私の中で時の人といえば間違いなくパイレーツの桑田投手です。

 桑田投手の歩いてきた道と同様に、会社の経営も、事故もあれば窮地に立たされることも多くあります。このような窮地に立たされた時に、大きく二つのタイプに分かれるようです。  

 

 ①その状況を受け入れ、今何が出来るかを判断し、行動する。

②その状況が受け入れられず、不平不満を口にするが、何も行動しない

 

 会計事務所の仕事をしていると、お客様を通じて、そんな機会に出会うことが度々あります。そのとき経営者の本当の器がわかります。立場上、客観的に意見を言いますが、当事者となると正直自信がありません。

 

 桑田投手は、間違いなく①のタイプです。翌日にはギブスをした足で黙々と練習を始めました。

 

 復帰後の試合で、迷わずダイビングキャッチする姿は、「現状を受け入れる」「最善を尽くす」「最後まであきらめない」「初志貫徹」・・たくさんのことを教えてくれました。

 

 試合を見に来てくださった方に力を抜いたプレーは絶対見せられない。また怪我をしたらというネガティブな発想は微塵もないようです

 

 賞賛をあびるかどうかが彼にとって陽の当たる道の判断基準ではありません

 

 常に自分自身の限界点を極めようとしているかどうか。そのゆるぎない情熱が温かい陽の光となって彼を照らし続けるのではないでしょうか

 少しでも桑田選手に近づきたいと真に思います。

新着記事

2007.06.01

耳を澄ませば・・

 清々しい季節、やさしい風がそよぎます。きらきらした新卒社員の笑顔と希望が輝いています。未来に向かって迷いはありません。

 

 自分はどうでしょうか・・ふと耳を澄まし立ち止まってみます。全力疾走しているときには届かない様々な天の声が聴こえてきます。

 

 経営者として業績向上に邁進することは素晴らしいことです。高い目標を掲げることも大事なことです。なぜなら、目標が結果を生み出すからです。

 

 ただ、自分を見失うほど全力で仕事に打ち込み、少しずつ歩むべき道がずれていることにも気づいていません。自分のことは驚くほど自分には見えないものです。

 

 勝者の論理と驕りが蔓延したとき、衰退は静かに第一歩を踏み出します。

 今一度何のためにがんばるのか、誰のためにがんばるのか、初心に帰る必要があるのではないでしょうか。

 

 人は自分と自分の愛する人を幸せにするために働きます。自分の愛する人の概念を偽善でなく広げていくことこそ真実の成長だと思います。

 

 大きな夢を現実に変えてゆく・・ 重要なことはスタッフ、お客様そして協力業者の方を問わず、そこに登場する人の顔が笑顔であることです。


 

 人に勝つのではなく自分に克つこと。成功しているときこそ、自己に厳しくあるべきです。

 

 常に自戒の念を持ち続けることが必要ではないでしょうか。

2007.05.01

風吹けども動ぜず

 仕事をしていると様々な問題に遭遇します。次から次へと、そしてなかには到底受け入れがたい問題もあります。

 

 人として成長すればするほど直面する問題も深くなります。それをどう乗り越えるか・・崩れそうになる自分を叱り勇気を鼓舞することができるかが明暗を分けます。

 

逆に困難に出会わないということは成長していないともいえます。成長しているからこそ超えがたい問題に直面するのです。そしてその困難は人として大事なことを教えてくれます。

 

 自分がされて嫌なことは絶対人にしない。人を敬い自らを慎むこと、そして身勝手な思い上がりを捨て去ること。常に自分の身に置き換えて自問自答することが重要です。

細事に執着せず寛容になること。過去の自分が許容することができなかった事柄を、現在の自分が瞬時も動ずることなく受容できた時、人として成長した証です。

 

その困難なくして人間力の成長は決して得られません。発想を転換すれば、困難を与えてくださった方に感謝こそすべきです。

 

そしてその困難を与えてくださった方の幸福をも願えることができたなら、きっともう一段、階段を昇ることができるでしょう。

 

問題は神様からの贈り物 

     答えは私の人間力    

       問題は解決されるために起きてくる 

2007.04.01

覚悟を経て

 4月8日をもって丸4年を迎えます。お蔭様でたくさんの素晴らしい経験をさせていただいております。

 開業当初、なぜか風は自分のために吹くと固く信じていたのを覚えています。当時と今で変わったと思うところがいくつかあります。

 

 その中で最も顕著なのが「自分」という概念の占める割合です。

 

 4年経った今、自分の力で進める限界までは進んだように思います。誰かの力を借りないともう一歩も進めないところまできてやっと多くの大切なものに気づきました。

 

 人は様々な経験を通し真実を理解するのではないでしょうか。肝心なことはふらふらしないこと。失ったものを数えるより残ったものを数えること。

 

 経営者の皆様の中でもまだ気がついていない人がたくさんいらっしゃるように思います。 このことに気づく環境を与えて下さった周囲にまず感謝です。

 

 そして成功とは下り坂の前兆ともいわれます。一人のスタッフ、お客様のために真心がつくせるか、それが消えた瞬間、引き潮のように引いてゆきます。

 

 只、万能でない者が完璧を期することは難しい・・ではどうするか。 

 

 やけ火鉢を握りしめて離さない覚悟で最善をつくすこと。

 

 自分の覚悟しだいで自分の景色を変えることができるはずです

 

 あきらめない者にのみ、フォローウインドはやさしく吹くのでは・・・ 

 5年目の中尾会計事務所を何卒よろしくお願いいたします。 

2007.03.01

伸びる条件

 様々な経営者の方に出会い確信したことがあります。リーダーにとって最も必要なもの・・それは「人格者」であること。ある程度の規模を目指すなら必要不可欠です。

 

 残念ながら私が「人格者」となるには気の遠くなるような修行が必要ですが・・・

 それでも中尾会計の成長とともに、少しずつ今まで見えなかったものが見えるようになってきました。

 

 お客様、スタッフを問わず「この人は伸びる!」はっきりと見えるのです。

 

 表面的な表情より、心の奥底にある仕事に対する情熱のようなもの・・・この魂を持つものだけが一流になれます。その魂は専門知識や才能では決して推し量ることはできません。

 

 感謝の心を忘れない。怠けず努力をいとわないこと。他を思いやるやさしさがあること。

 

 魂は働くことでしか磨くことはできません。なぜなら働くことは辛苦を伴うものでありそのつらさに耐え克服していくことこそ魂を磨くことに繋がるからです。楽して成長しようなど言語道断です。

 

 「百術は一誠に如かず」という格言を先日聞きました。小賢しい処世術より切なる行動がものをいう。

 

 人間として正しいことをすることは簡単にできそうに思えますが、実際はなかなか実践できません。それを実践できる人が人格者ではないでしょうか。

 

 リーダーたるもの、周囲のお役に立とうと鼓舞奮闘するうち品格が備わっていくべきです。日々の精進あるのみです。

2007.02.01

戦う経営者

 しばらく元気がない話題が続いていました。皆様から、たくさんのアドバイスや励ましの言葉をいただき、感謝の気持ちでいっぱいです。今回は久しぶりに明るい話題です。

 

 私がこの仕事をしていて一番幸運だと思うこと・・・それは仕事柄たくさんのすばらしい経営者の方に出会うことです。

 

 規模の大小を問わず、社長と名のつく方はみなさん魅力的であり個性的(変わった方ばかり?)です。

 お話させていただく度に仕事に対する愛情と深い思い入れが感じられ、いつもこれはすごいと感心しています。

                  

 そして例外なく忙しい・・・大袈裟でなく、まるで戦っているかのようです。

 真剣勝負でお仕事に取り組む、そんな戦う経営者の方のお手伝いをすることこそ、私たち会計事務所としての仕事の醍醐味だと思います。

 もし戦っていない経営者の方がおられるとすれば、近い将来「明日はない」といっても過言ではないと確信します。

 

 ただ、同じ戦う経営者でも、幸せそうな社長とそうでない社長がおられます。私自身しばらく後者だったように思います。

 

 お客様がみんな幸せになれるよう、お客様に対し「やさしくて厳しい光を照らせるような存在になりたい!」そう強く思います。そのためにはまず、私自身がもっともっと成長し、力をつけること。悩んでいる暇は1分たりともありません。

2007.01.01

決意表明

 新年明けましておめでとうございます。昨年中は格別のお引き立てに賜り厚く御礼申し上げます。本年もご愛顧の程、何卒よろしくお願い申し上げます。

 

 昨年は人を育てる本当の難しさの深淵に触れ、自分ひとりの力ではどうすることもできない大きな流れを強く感じる年でした。

 

 中尾会計事務所が私個人そのものではなく、事務所として人格を持ち歩き始めた年だったように思います。

 一言で表すならまさにスクラップアンドビルド。

 いかに自分の我を捨てることができるかを試されることの連続でした。

 

 どうすればみんながやりがいを持って仕事に取り組めるのか・・私なりに本心からみんなのために良かれと一生懸命方針を立てていました。

 

 ただそこには大きく私の我が存在しました。私がこんなに苦労しているのに・・決してスタッフの視点に立っていませんでした。

 昨年の自分と比較し劣っていることこそ最も恥ずべきことだと思います。

 

 年初に当たり皆さんに決意表明します。

  「弱さを捨て強くなります。そして強さのうえのやさしさを会得します。」そうすればきっと今後も発生する様々な不満分子を流しきることができるはずです。

 

 人生には二つの苦労がある。

 一つは人生を切り開く苦労であり、一つは人を育てるむずかしさである。前者は、自分に打ち勝つことであり、後者は、自分を捨てることである。捨てるということは感謝の心を持つことである。

 

 お客様ありがとうございます。

 従業員様ありがとうございます。

 家族様ありがとうございます。

 全社会様ありがとうございます。(石川先生の言葉)

2006.12.01

やり直し

 今年も残すところ一ヶ月たらずとなりました。

 今年ほど自分の無力さを痛感した年はありませんでした。私どもの助言を、決して承諾して下さらないお客様にも初めて出会いました。

 

 極端に無理な行為をすれば、将来必ず、会社に悪弊をもたらします。ただし一方的に正しいことをふりかざしてもお客様には理解していただけません。

 

 お客様が大切なお金と引き換えに求めるものは、安心できる解決策と良い気分ではないでしょうか。そして良い悪いの判断基準は期待していたものと実際にうけたものとの差ではないかと思います。

 

 お客様が満足し、良い気分を味わえるような解決策を提供する・・お客様満足の真髄です。

 

 誠意を持って説得すればわかっていただけないお客様はいない・・そんな強い自信を持っていました。今までたまたま、素晴しいお客様に恵まれていただけなのに自分の力を過信していたのかもしれません。裸の王様でした。

 

 万人に受けいれてもらおうなど大それたことは思っていません。ただ早々にお客様のせいにし完結してしまうのは最も危険なことだと思います。そして理解しないお客様を責めるのではなく、こちらに理解していただくまで説明する能力がなかったと反省すべきです。

 

 これからもたくさんの素敵なお客様との出会いが待っているはずです。

 一切の猜疑心なく無の心で受け入れることができるよう常にきれいな心でいたいと思います。

 

 「失敗から立ち直る為には 恵まれ過ぎた不幸に 目を覚ますことである」(石川先生)

 今日からやり直しです。

2006.10.01

船に刻みて剣を求む

 つい日常的にいってしまう言葉があります。「がんばれ!」「根性」という類の言葉です。

 

 立派な大人に対し十年一日の如く努力という言葉ではっぱをかけることが上司の仕事でしょうか。

 

   会社の運営がスムーズにいかないことを、スタッフの努力の有無と結びつける経営が、果たして経営といえるのでしょうか。

 

 スタッフに対してがんばれという精神論を振りかざしてばかりいると、がんばることが目的になり何のためにがんばるかを見失ったり、がんばるふりが横行したりするようになります。

 

 本来成果が上がらないときは、業務の形態やシステムの合理的な見直しこそが必要であり、個人の努力や

 

精神性の不備を理由にしてしまっては、真の原因がうやむやになり、結局何も変えることができません。

 

 最近ある本で「船に刻みて剣を求む」という中国のことわざを知りました。これは川を渡っている際、剣を落とした男が、落としたのはこのあたりだろうと船べりに目印をつけておいたが、船は進んでいたため見つからなかったという故事です。

 

 すでに舟は進んで世の中は変化しているのに、いつまでも過去のやり方や考え方に固執する愚をおかしていませんか。すべての責任は経営者にあります。


 

 「がんばれ」とはっぱをかけるのは、トップが会社の戦略をきちんと立て、全社的なビジネスプロセスを決定したその後です。

2006.09.01

本当の目的

 先日私事ですが、可愛がっていた愛犬が亡くなりました。その際、動物病院とのやりとりで、自己を省みることとなった体験をお話したいと思います。

 

 朝少し体調が悪そうだったので病院に連れて行きました。熱もあるので、預っていただくこととなりましたが預けてから30分足らずで5歳の短い命を終えてしまいました。ブルドッグ特有の呼吸の病気との説明でした。

 

 当初その説明に納得できず、病院を恨み、そして連れて行った自分を涙が枯れるほど責めました。そんな私を見て、身内の者が病院にきちんとした説明をしてもらおうと連絡してくれました。

 幸い誠意ある説明があり自責の念は薄まりました。

 

 なぜ不信感を与えたのか・・それが自分たちの仕事にもいえることでした。その病院は地域では評判の病院でしたが、大きな医療施設に拡大し、若い先生が増えたためいろんな噂が囁かれていました。

 

 人の成長を心よく思わない人たちはどこの世界にもいます。納得のいくよい治療をしようと思えば設備投資も必要になります。傍からはよく見えても、スタッフの育成、借入金の負担など、小規模で運営するほうが資金は留保されます。若い先生も未熟なところはあれ一生懸命のはずです。

 

 ただ「要所で経営者が見てくれている」という安心感があるか否か。そしてなぜ拡大するのか、開業当初の本当の目的とずれていないか・・常に自問自答すること。本当の目的に近づく謙虚な努力は徳をもたらし、その徳こそが妬みを浄化し支援者に変えていくのではないでしょうか。

 

 愛犬の死はたくさんのことを教えてくれました。

 

「明日死ぬつもりで生き,永遠に生きるつもりで学ぶ」byガンジー

2006.08.01

働く姿勢

ここにエントリー本文を書きます。

2006.07.01

不撓不屈(ふとうふくつ)

 昨日「不撓不屈」という映画を見ました。最強の国家権力である検察庁、国税庁と七年余にわたって壮絶な戦いを続けて勝訴した税理士の故飯塚毅先生の実名小説の映画化です。

 現在当たり前のように適用している決算賞与や旅費日当が、先人のゆるぎない信念の基に成り立っているとは微塵も知りませんでした。

 

 「不撓不屈」とはどんな困難に出会ってもひるまずくじけないという意味です。

 「税理士がその使命を尽くさないで誰が中小企業を救うのか!」主人公の迷いのない叫びは、くすぶっていた私の悩みを払拭してくれたように思います。

 

 私如きがそんな大それたことを・・それは逃げ口上です。それぞれがそれぞれの器に応じた使命を持っているはずです。

 割の合わない仕事だ・・そこまで責任はもてない・・愚痴を言う暇があればできることを続けることです。

 

 小欲にとらわれず自分なりの大きな志を掲げ、感謝に満ちた仕事人生を送りたいと思います。

 私は私の能力の限りを尽くしてお客様やスタッフを護ってあげたい・・うそ偽りのない気持ちです。

 

 「人間にとって一番幸せなことは一生を貫く仕事を持つこと」そんな言葉がはっきりと理解できました。

 自称幸運の女神の愛情に勝る力はありません。税理士という職業を理解していただく上でも、機会があれば是非映画を観てください。

2006.06.01

まわり道

 5月は確定申告に次ぐ繁忙月です。そして私自身が権限移譲について非常に考えさせられる月でもありました。

 

 「自分にしかできない以外は、時間があってもスタッフの方に任せてください」。職業上、お客様に対して日常的に申し上げている言葉です。

 

 スタッフが辛そうなとき、どれだけ心を鬼にして見守ることができるか・・スタッフがまわり道しているのをどれだけ我慢して見守ることができるか・・自分なりに悩み、まわり道したからこそ、個性キャラクターが芽吹くのではないでしょうか。本当に苦労した人は自分の正しさで人を判断しません。

 

 経営者が自分の価値観を押し付けたり、口を挟み近道させたらそれなりの結果しか得られません。

 

 経営者の仕事はスタッフと一緒に右往左往することでは決してありません。みんなが成長しようとしているとき、経営者はもう一度自分しかできない仕事は何なのか、それに精一杯とりくんでいるか、新たなるステップを踏むべく追い詰められるほど計画をたてているか。今一度自問自答する必要があると思います。

 

 そして大きな視点に立ち自社が進むべき道をしっかりと示すことこそ経営者の仕事ではないでしょうか。

 

 わかっていても経営者一年生の私にとっては難しい・・私自身がまわり道を懸命に歩いている真っ最中です。「育成は祈りである」、ある本で読んだ言葉が心にしみる月でした。

2006.05.01

ハードワーク

 あちこちでフレッシャーズが華やかです。ふと当時の自分を桜の霞に思いおこしました。

 「仕事は時間じゃない」と豪語。地味な努力を馬鹿にし、絶対価値観を吹聴する自信満々の私が笑っています。

 

 そんな私が4月8日をもち開業丸3年をむかえました。お蔭様で数え切れないくらい頭を打たせていただいております。完全に自分の器の容量を超える日常です。

 

 もし自分には無理だと思ったらその瞬間、そんな人生を歩みだすでしょう。できないことを諦めるのでなく、できる自分を創造してゆく一本道しか存在しません。

 

 どんな人にも珠玉の魂が存在し、磨けば必ず輝くはずです。嫌々働いたり、不満を口にしていると輝きがなくなりついには濁ってしまいます。

 

 開業当初、誰にも認められず悩んだとき、改心するきっかけになった詩を紹介します。

 

 「社会はあなたを両手を広げて待っていてくれる。だが、あなたのために準備された歯車は一枚もないことを忘れてはならない。

 しかし、あなたに与えられた歯車が動かなければ全体の歯車は動かないのだ。だから与えられた ポストにベストを尽くすことだ。

 それが社会の一員として行動するあなたの使命なのだ」

 

 現在「仕事は時間じゃない」の正反対「ハードワーク」邁進中です。ハードワークで魂を磨かなければ、本当の効率はみえないはず・・怠け者の戯言にならぬよう桜の樹の下で襟を正したいものです。

新着記事

2006.04.01

問題と対峙する

最近、仕事をするうえで、即決できない問題がふえてきました。

 しばらく考えても結論が出ないので、とりあえず保留し机の端によせ、次の問題に取り組みます。

 ところが些細な問題でも、放置すれば、放置した時間に比例していよいよ複雑になり混迷してゆきます。

 

 問題が解決しない最大の原因は、そのまま放置していることです。

 迷った場合は、最良といえない行動であれ、とにかく速やかに動くことではないでしょうか。最良の決断がみつからず長くひきずり、よい結果に結びついたことは少ないはずです。

 

 判断基準を「完全性」、「迅速性」のいずれを優先すべきかが鍵となります。そして改めて問題の原因を立ち止まってつきつめるべきです。

 つきつめれば、結局、その原因はすべて自分の問題であったことに気がつくでしょう。

 

 身近な状況に置き換えれば、机の上に書類を滞留させない。机の上から書類をなくすことがスタートではないでしょうか。

 みなさんの机の上はすっきりしていますか。

 

 逃げれば逃げるほど問題は追いかけてきます。それが問題の正体です。逃れる方法はただひとつ、その問題と正面から対峙し取り組み、自分自身の答えを導き出すしかありません。

2006.03.01

しんどい選択

 仕事を辞めたい・・このお客様に限りお断りしよう・・仕事上でそんな気持ちになったことはありませんか?

 だれもが自分なりに悩み、限界まで頑張ったうえで浮かんだ考えだと思います。でも私はそこで一呼吸おくことにしています。

 

 自分の思い描く理想の仕事やお客様から外れているからといって、非難や不満を抱くことが、どれほどおごったことか我に返ることです。

 今までのわずかな経験と、ごく限られた人脈の中で培われた現在の価値観が、どれだけ絶対的であるか、まず疑問を持つことだと思います。

 

 のんびりと能力の50%で生きることも立派な選択です。ただし50%しか出し切っていないことに気づかず生きることは何よりも哀しいことだと思います。

 人生で迷った時、常に楽なほうを選択していると、少しずつ気づかないうちに階段を下りていきます。そして階段の上の記憶はすっかりなくなってしまいます。

 

 その逆に、あえて「しんどい選択」をしていたら少しずつ階段を昇っていけるはずです。そしてその「しんどい選択」はいつか成功体験につながるのでは・・・・。

 

 スピードスケートの岡崎さんの言葉が耳に残っています。「自分には限界なんてないと思う。もし限界だと言ったならば、それは単なる妥協にすぎないと思う」。

 自分がどこまで昇っていけるか楽しみながら試してみたいと思います。

2006.02.01

赤鬼

 最近特に顕著になってきた傾向があります。自覚症状は極めて少なかったのですが極端にストライクゾーンが狭くなり、日常の些細なことに過敏に反応し我慢できない傾向です。

 先日一番親しい人から高圧的になっていると注意されました・・「イエローカード」です。